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tokuにより1年、 1ヶ月前に更新されました。
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toku
キーマスター熊本県玉名市周辺に、徳山さんが集中していて、出自を調べてきました。
明治7年の「有禄士族基本帳」(肥後細川藩、宇土藩、高瀬藩の禄を受けていた士族の名簿)に2家あり、それぞれ当時の当主は「徳山隆太郎」と「徳山源十郎」といったようです。
さらに、これらの2家は、いずれも細川藩の三卿家老の三席・有吉家の家臣だったことがわかりました。古文書を読み込めば、詳しいことがわかってきそうです。
今後、トピックを立てて、熊本県の徳山さんについて情報交換させていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。 -
徳山 真
ゲスト管理人様、熊本県の徳山さん情報フォ-ラム立上げありがとうございます。ご先祖様の事が判るかもと楽しみにしております。
昔、親戚が話していたのですが、玉名で砦だか陣屋だかの跡地に一族が集まって正月を祝ってたとの事。
また、私の本家の敷地内に徳別当様といわれる祠が祭られております。父が子供のころ祠の下を掘れば何か出るのではないかと言って大目玉をくらったと話していたのを思い出しました。何か埋まってるかもしれませんね(笑)
徳別当様は地元の新聞で縁結びの神様と紹介されてました。
今後情報が集まることを楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。 -
管理人の徳山です
ゲストまず、「徳山隆太郎」家について、わかったことをお知らせします。
この徳山家は、明治7年の「有禄士族基本帳」の元になった「改正禄高等調」に「有吉興太郎旧臣」と書かれています。「有吉興太郎」は、ウェブサイト「肥後細川藩・拾遺」に詳しいですが、細川藩の代々家老である三卿の三席で1万5千石という大名並みの禄高です。
この徳山家は、有吉家の「馬乗衆」と書かれていますから旗本の一人であったようです。
明治2年の当主として「徳山隆記」の名があり、その長男が「徳山淳吾」、その養子に「徳山隆次郎」の名が記載されています。
自分の除籍謄本を取れば明治期の先祖の名前はわかりますので、これらの方の名前があればビンゴ!です。 -
管理人の徳山です
ゲストもう一つの、「徳山源十郎」家について、わかったことをお知らせします。
この徳山家は、「改正禄高等調」に「有吉平吉旧臣」と書かれています。平吉は細川藩の家老職「有吉興太郎」家で使われている名前ですが、なぜ「徳山隆太郎」家と書きぶりが違うのか、わかりません。いずれにしても、家老職有吉家の家臣ということは間違いないようです。
明治当初の当主として、「徳山源十郎」の名前があります。この人は明治3年に「徳山源之助」から改名したと書かれています。この「徳山源十郎」氏の長男が「徳山新志」、その弟で「徳山丈吉」の名前が記載されています。
この両家の子孫の方が来てくださると、かなり解明できそうです。気長に情報をお待ちしています。
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