03. 静岡県徳山調査(その2)−徳山城址

  平成15年6月7−8日に行われた「美濃源氏駿河土岐氏調査隊」の第2日目です。前日、中川根町の野口旅館に一泊した井澤隊長以下4名は早朝から、本調査のハイライト徳山城址を目指しました。

  徳山城址は徳山集落の東方、南アルプスの深南部、無双連山(むそれやま)の尾根筋に築かれた中世の山城です。後世の城郭のような豪華さはありませんが、山頂付近の殿屋敷(本丸)を中心に、南に陣屋平、鍛冶屋敷、蔵屋敷と呼ばれる出丸があり、正面(北)には大手門跡、さらにその北は犬戻りと呼ばれる痩せ尾根となっており、近づきがたく作られています。また、城が単独で存在するのでなく、尾根に沿っていくつもの砦や塁、段を配し、広域に及ぶ防衛線を構成していたようです。

  徳山城址に登るには、まず、登山道入口まで車で林道を走ることになります。ところがこの林道がなかなか難物で、道がわかりにくい上、各所に路肩の崩れや土砂の堆積があり、慣れない人はちょっと引いてしまいそう。ところが、我らが井澤隊長はこれをものともせず、すごい運転で四駆を走らせ、見事に登山道入口に着けてしまいました。登山道そのものは標識も整備された比較的歩きやすい縦走路でしたので、実は林道の走破のほうがスリリングな体験でした。

徳山城址登山道入口にて 徳山城址大手門跡 徳山城址清水砦跡

  登山道入口で記念写真の後、登山開始。日頃運動不足の隊員たちにはきつい登りが続きます。が、それも30分程度で、城址手前の清水砦跡に到着。そこからは比較的平坦な縦走路が続きます。次に迎えてくれるのが、徳山城正面の犬戻り。犬も怖じけて戻るという命名でしょう。実際、大井川と安倍川の分水嶺をなす両側絶壁の痩せ尾根(最狭部約60cm)なのですが、両側に木が生い茂っているので怖さは感じません。

徳山城址の中心、殿屋敷跡 両側絶壁の犬戻り 徳山城址犬戻りの案内

  犬戻りを抜けると大手口。その先が殿屋敷と呼ばれる本丸です。とはいっても、現在は杉の木が生えているばかりで、往時を偲ぶものは人の手が加えられたことがわかる土塁や堀などの地形のみ。それも、知識がなければ気づかない程度のもので、当日もすれ違った何人かの登山者には無縁のものだったに違いありません。

  我々探検隊は、さらに本丸南側の陣屋平へ向かいます。ここは比較的広く水の手も近いことから、居館やその他の建物があったと思われます。現在は中部電力の電波反射板があり、見晴らしの良いところです。その先は鍛冶屋敷−鍛冶の設備があり武具の修理などをしたと推測されています。南端は蔵屋敷−見張りの矢倉があったところでしょうか。その南はナゲと称する目もくらむ絶壁で、現在も雨のたびに崩壊しているようでした。このあたりは、昔、土岐山城守が寄せ手の軍勢に向かって遠矢をかけたところと伝えられています。ここで往時を偲びつつ、弁当にし、帰路につきました。

徳山城址鍛冶屋敷跡 無双連山山頂
標高1083m
無双連山山頂より
西方徳山集落を望む

  徳山城は南北朝時代の14世紀半ばに、鴾(土岐)彦太郎が城主であったことが記録に残っています。即ち、文和2年(1353年)2月、鴾彦太郎が足利直義派に属したため、足利尊氏は今川範氏に徳山凶徒鴾彦太郎の討伐を命じ、2月25日に徳山城は陥落したと「伊達景宗軍忠状」(京都大学蔵)に伝えています。

  駿河土岐氏と、徳山の地名という2つの興味から行った「美濃源氏駿河土岐氏調査隊」。徳山神社や土岐氏居館跡など多くの史跡と郷土史家の方々のお話、そしてハイライトは無双連山の徳山城址調査と、なかなか盛りだくさんの内容でした。ご興味のある方は一度お出かけになってみては。

今回お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。


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