01. 石川県辰口町徳山と徳山氏は関係ありや

  石川県辰口町徳山と徳山氏は関係が有るのか無いのか、調べ始めました。2002年夏のことです。辰口町徳山は「トクサン」と読みますし、ちょっと不思議。でも、辰口町には電話帳に徳山姓が9世帯あり、これは密度では全国の市区町村中でベスト20に入るレベルで、徳山氏との関係も否定できません。

  まず、7月7日、東京都中央図書館で「辰口町史」を調べてみました。土地の詳しい歴史を調べるのには、こうした市史、町史、村史は手頃な入門書で、東京都中央図書館には全国のものがそろっています。ただ、「辰口町史」は徳山に関しては不作。江戸時代には徳山村(とくさんむら)があり、江戸時代を通じて前田氏の支配を受けたこと、旧徳山村上徳山に徳山寺(とくさんじ)があったことがわかっただけ。徳山氏とは関係がないかも?と、少しがっかり。

  10月13日、同じく東京都中央図書館で、今度は「石川県の地名」という事典を発見。
・「集落は本村と出村の2つの垣内があり、本村が上徳山、西方出村が下徳山。」
・「地名は、本村の通称「ハットガ谷」(はっとん谷)に、かつて徳山寺という寺院があったことに由来するともいわれる。(加賀志徴)」
・「上徳山、下徳山にそれぞれ八幡神社がある。」
などの記述を見つけました。やはり、徳山氏との関係は出てきません。9世帯の徳山家は地名とは無関係なのか?図書館での調査では、ここで行き詰まってしまいました。

  ところが、思わぬ所から助けの神が現れて、調査は急展開することになります。2003年3月3日、当サイトの「管理人へのメール」を利用して、辰口町下徳山ご出身の森一成様が、情報を送ってくださったのです。このようなメールをいただくたびに、サイトを開いて良かったと思います。森様によれば、下徳山にある八幡神社の由緒書きに詳しく書かれてあるとのこと。デジカメ画像も送ってくださいました。

辰口町下徳山の八幡神社 八幡神社由緒


  これによれば、当地には後の松任城主徳山五兵衛則秀の館があったこと、則秀は松任城主になるや八幡神社の社殿を造営するとともに徳山寺をも復興したと書かれています。(由緒の中で「徳山五兵衛秀規」とあるのは、「徳山五兵衛秀現」の誤りでしょう。秀現は則秀の入道号です。)

  これだけの資料から推測すると、以下のようになります。
・辰口町徳山は徳山氏の苗字の地ではないようだ。
・先に徳山寺(とくさんじ)があり、その由来によって徳山(とくさん)の地名が生まれた。
・天正年間に徳山五兵衛則秀が館を構えた。特に天正8年(1580年)の加賀平定後に松任4万石の領主となった後は八幡神社の社殿を造営し、徳山寺をも復興した。
・現在この地に住む徳山さんは、徳山五兵衛則秀の一族の末裔の可能性がある。

  しかし、徳山(とくさん)という地名のあるところが、偶然徳山五兵衛の領地になったのでしょうか?ちょっと出来すぎています。ひょっとすると、寺を復興するに際し、名を徳山寺と改めたということはないでしょうか?このあたりについては、一度現地調査をしてみる必要がありそうです。

  いずれにせよ、辰口町徳山は徳山氏ゆかりの地と判明しました。石川に行く理由が一つ増えました。

(このページに画像及び氏名を掲載するに当たっては、森様のお許しをいただきました。ありがとうございました。)


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