徳山地名事典



  徳山の地名は全国に9カ所(Aの上徳山、下徳山は郵便番号簿上別ですが、一つとカウント)にあります。
  @は旧徳山村、A〜Eは郵便番号簿掲載、@〜Fは2万5千分の一地形図掲載、Gは古い地名(現在では存在しません)です。

   @岐阜県揖斐郡藤橋村徳山(旧徳山村)(ギフケンイビグンフジハシムラトクヤマ)
   A岡山県真庭郡川上村上徳山/下徳山(オカヤマケンマニワグンカワカミソンカミトクヤマ/シモトクヤマ)
   B山口県徳山市徳山(ヤマグチケントクヤマシトクヤマ)
   C静岡県榛原郡中川根町徳山(シズオカケンハイバラグンナカカワネチョウトクヤマ)
   D滋賀県東浅井郡浅井町徳山(シガケンヒガシアザイグンアザイチョウトクヤマ)
   E石川県能美郡辰口町徳山(イシカワケンノミグンタツノクチマチトクサン)
   F宮崎県串間市奈留(ミヤザキケンクシマシナル)地先の小字徳山
   G鳥取県東伯郡三朝町(トットリケントウハクグンミササチョウ)にかつて存在
   H沖縄県国頭郡今帰仁村渡久山(オキナワケンクニガミグンナキジンソントクヤマ)

  これらのうち、@とAは徳山姓の苗字の地です。詳しくは以下に。
情報があればお寄せください。


@岐阜県旧徳山村−徳山氏苗字の地

  旧徳山村は徳山ダムに沈む村として知られています。1987年(昭和62年)4月、移転のため無人となり、藤橋村に編入されました。この地は徳山氏苗字の地の一つです。

  徳山の地名の由来について、「徳山村史」(昭和48年発行)等に以下のような記述があります。承和11年(844年)頃、坂上貞守(坂上田村麻呂4代の孫、一説に田村麻呂の舎弟鷹主の子)が「故あって勅勘を蒙り、濃州の山谷に左遷された」。やがて許されて都に帰る時、たまたま鶯の雛を捕らえ、籠に入れて帝に献上した。帝は大いに喜ばれ鶯を捕らえた山の名を聞かれたが、貞守は土地の人々はただ山の中と呼ぶばかりで名前は知らないと答えた。帝は、今後その山を「鳥籠山(とこのやま)」と名付けよと命じ、貞守に領地として与えられた。

  「徳山村史」は、徳山家伝系図や寛政重修諸家譜などをもとに記述しており、徳山家伝系図に「鳥籠山今名徳山是也」とあります。この地の徳山氏は、代々美濃国大野郡徳山を領し、はじめ「とこのやま」、後に「とくのやま」と称していたようです。

  なお、坂上貞守は文徳天皇の仁寿元年(851年)2月、美濃国の権介に就任し、順次権守、美濃守と昇任し、貞観4年(862年)正月まで美濃国の国司として政治に関わっています。

  さらに余談ですが、岐阜県旧徳山村の地名の由来(出典「徳山家伝系図」)として「鳥籠山(とこのやま)」の話を書きましたが、日本書紀に壬申の乱の戦場として滋賀県彦根市大堀町の「鳥籠山(とこのやま)」が出てきます。この「鳥籠山(とこのやま)」は万葉集でも歌われています。「徳山家伝系図」の話もこのあたりがヒントになって生まれたかもしれません。


A岡山県真庭郡川上村徳山−徳山氏苗字の地

  この地も美作国真庭郡徳山邑として古くから地名のある場所で、代々上徳山の地頭職にある家が徳山を名乗ったと伝えられています。大字として上徳山、下徳山の両方があり、さらに小字で徳山の地名があります。

  上徳山には徳山神社があるほか、「徳山家文書」(岡山大学附属図書館所蔵)や徳山家の系譜を記した「徳山氏家記附録」なども残っています。徳山氏苗字の地の一つです。


B山口県徳山市−比較的新しい地名

  全国で最も有名な徳山の地は山口県徳山市でしょう。経緯をいうと、元和3年(1617年)、毛利輝元は次男就隆(なりたか)に、都濃郡において高3万石の地を分地して支藩をたてさせました。就隆ははじめ居館を下松の地におきましたが、慶安3年(1650年)9月に、この地(野上村)に移り、その際に地名を徳山と改め、城下町を経営したということです。
  従って比較的新しい地名です。苗字の発生が平安時代末期から室町時代であることを考えると、1650年は新しすぎ、徳山氏苗字の地ではありません。実際、平成12年3月時点のハローページにも、徳山市内に徳山さんは2件しか登録されていません。

  なお、この地を徳山と命名した由来は正確にはわかりませんが、毛利家支藩を建てるに当たり、当時藩政の安定していた阿波徳島と備前岡山からそれぞれ一字をとって命名したという説が最も有力なようです。

  また、徳山市は二市二町の市町村合併により、2003年4月21日から周南市となりました。市町村名からは徳山の地名が消えましたが、旧徳山市内に大字徳山の地名があり、これは残るでしょう。


C静岡県榛原郡中川根町徳山−「土岐の山」が「徳山」に

  大井川中流域左岸の中世の広域地名を徳山といい、暦応3年(1340年)には文書に「徳山」の字が見られます。これは現在の本川根、中川根、川根3町の東部に当たるようです。

  現在の徳山は中川根町の大字で、大井川鉄道駿河徳山駅のほか、徳山城址徳山神社も現存。

  当地に徳山姓を名乗る人物は、現在も歴史的にも見あたりません。どうやら、徳山氏の苗字の地ではなさそうです。当地には、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて当地を支配した土岐氏の山城があり、「土岐の山」が「徳山」の地名になったとの説が有力なようです。

  詳しいレポートは「静岡県徳山調査(その1)」をご覧ください。


D滋賀県東浅井郡浅井町徳山

  調査中です。


E石川県能美郡辰口町徳山

  辰口丘陵公園やいしかわ動物園の近くにこの地名があります。ただし、ここの地名の読み方は「トクサン」です。江戸時代の資料にも徳山村(とくさんむら)が見られます。古い地図を見ると、上徳山、下徳山の地名も見られますが、現在の地形図にはないようです。

  古くは上徳山の地に徳山寺(とくさんじ)があったと伝えられています。「加賀志徴」によれば、地名はこの寺に由来するとしています。また、辰口町には電話帳に徳山姓が9世帯あり、密度では全国の市区町村中でベスト20に入るレベルで、地名との関係も興味があります。

  詳しいレポートは「石川県辰口町徳山と徳山氏は関係ありや」へ。


F宮崎県串間市奈留地先の小字徳山

  ここに挙げた地名のうち、Fだけは小字です。このため資料も少なく、今のところ徳山姓との関連を示すものは見つけておりません。


G鳥取県東伯郡三朝町

  Gはかつて徳山という地名が存在していたところで、現在はありません。「地名レッドデータブック」という地名事典に収録されています。この本は、旧陸軍参謀本部陸地測量部発行の5万分の1地形図(いわゆる陸測図)にあって現在は消えている地名を収録したもので、「鳥取県神中村徳山」と「鳥取県三徳村徳山」が掲載されています。いずれも現在の三朝町に含まれています。


H沖縄県国頭郡今帰仁村渡久山

  「とくやま」の読みで言えば、他に、「沖縄県国頭郡今帰仁村渡久山(とくやま)」があります。「人口・世帯数」で解説した、渡久山姓の苗字の地と考えておりました。

 ところが、2006年1月に今帰仁村の渡久山様からゲストブックに書き込みをいただき、新たな事実がわかりました。(「(旧)徳山さんゲストブック」のNo.77参照)
 今帰仁村渡久山は、戦前は「徳山」と書いていたというのです。「戦後になって突然、現在の渡久山になってしまった」と書き込みをいただきました。

 徳山の地名は全国9カ所、と言うべきかもしれません。しかし、そうなると、渡久山の姓はどこから来たのでしょうね。また、新しい研究テーマが出来ました。
 いずれにせよ、徳山と渡久山は何か関係がありそうです。渡久山様ありがとうございました。


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