このページは、2002年8月から2019年7月まで開設していた、「(旧)徳山さんゲストブック」のログです。
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[237] Re:[236] 鳥取市内の德山について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2018/11/22(Thu) 22:21
> 鳥取市の德山さんについて無いでしょうか?
「鳥取T氏の由来」さま、ようこそおいでくださいました。
このゲストブックに、鳥取県の徳山さんは今まで3人いらっしゃっています。鳥取市、大栄町、佐治村(在住または出身)の方です。このページの中で、ブラウザの検索機能をお使いいただけるとすぐたどり着きます。
その時の返信でも書きましたが、鳥取県は電話帳掲載データで徳山さんは53世帯。密度では全国第3位ですし、地名も確認されていますから、きっと由来があるはずですが、残念ながらまだルーツが解明されておりません。
徳山姓は地名由来のようですから、岡山県の川上村か、鳥取県三朝町にかつて存在した「鳥取県神中村徳山」と「鳥取県三徳村徳山」のいずれかが名字の地である可能性が高いと思います。
[232]の徳山徹人さんは川上村のご出身で、メールアドレスも公開されていますから、情報交換されてみてはいかがですか?
[236] 鳥取市内の德山について 投稿者:鳥取T氏の由来 投稿日:2018/11/20(Tue) 21:24
鳥取市の德山さんについて無いでしょうか?
昭和27年 鳥取大火で家系図がなくなってしまっているようです。
現在判明していること
・鳥取県 所蔵の年鑑に 千代蔵 水道局書記 と記載あり
・小学校の校庭の片隅に記念碑あり
・上過去帳にて確認
・過去帳に伊右衛門の名前あり
・また 過去帳で一番古いのは、元禄時代までしかさかのぼれ ない
・江戸時代は、商人だったが苗字対等で刀を持っていたとのこ あくまで噂ですが(米問屋)だったらしいとのこと
・昔より 奥山 神崎 姓の方と養子縁組などがあった
このような状況ですがどこの德山さんが先祖なのか知りたいと思いましてメールを差し上げました。
[235] Re:[234] 彦根橘との関係 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2018/09/11(Tue) 22:37
「ルーツを知りたい德山」さま、ようこそおいでくださいました。
現在までの情報では、井伊家との直接のつながりは確認されておりません。
ただ、近江と徳山氏は関係が深いです。近江八幡市の瓶割山にあった長光寺城(瓶割り柴田で有名な柴田勝家の古戦場)で、柴田勝家の留守を預かった徳山右衛門あてに、秀吉が出した書状が残っています。実際、瓶割山の麓に行くと、今でも徳山さんがたくさんいらっしゃいます。
また、岡山県笠岡市の徳山さんも近江から来たと伝えています。
近江の徳山さんが、何かの理由で彦根橘の紋を使うことを許されたという可能性があると思います。
また情報交換させてください。ありがとうございました。
[234] 彦根橘との関係 投稿者:ルーツを知りたい德山 投稿日:2018/09/10(Mon) 22:30
最近我が家の家紋が彦根橘である事を知りました。井伊家と德山家をつなぐものをご存知ないでしょうか?
[233] Re:[232] ありがとうございました! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2017/09/28(Thu) 15:44
> 探検記も読ませていただきました。
徳山徹人さま、重ねて書き込みありがとうございました。
最近ちょっと更新をサボり気味ですが、サイトにおいでいただける方々の励ましだけがモチベーションです。
今後ともよろしくお願い致します。
[232] ありがとうございました! 投稿者:徳山徹人 投稿日:2017/09/26(Tue) 22:34
探検記も読ませていただきました。
やはり調査済みだったのですね。
スゴイ行動力と情報力に、感謝です。
ではまた。
[231] Re:[230] 駿河徳山 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2017/09/24(Sun) 19:10
> 女将の知る限りでは、徳山姓は知らないとのことです。
> 何か、情報があったら教えてください。
徳山徹人さま、時々おいでいただいているようで、ありがとうございます。
私も気になって、川根本町徳山には行ってみました。
このウェブサイトの「徳山姓の研究」-「徳山地名辞典」にいわれを書きました。
「当地に徳山姓を名乗る人物は、現在も歴史的にも見あたりません。どうやら、徳山氏の苗字の地ではなさそうです。当地には、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて当地を支配した土岐氏の山城があり、「土岐の山」が「徳山」の地名になったとの説が有力なようです。」
また、「徳山姓取材ノート」に訪問記を書いています。徳山城址や徳山神社の写真もそこに載せておきました。
今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
[230] 駿河徳山 投稿者:徳山徹人 投稿日:2017/09/23(Sat) 10:47
昨日、静岡県川根本町に徳山という地名があるのをしりました。
グーグルマップで、検索したところ、「徳山光琳堂」という和菓子の店があり、今日電話してみました。
女将の知る限りでは、徳山姓は知らないとのことです。
何か、情報があったら教えてください。
[229] Re:[228] 美作・徳山家26代目当主 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2017/07/30(Sun) 22:35
徳山てつんど様、お久しぶりです。
私(管理人)も、平成18年5月に美作の徳山家にお伺いして、博さま、周一さま、蒜天先生にお目にかかり、大変歓待いただいたことを覚えています。
書き込みありがとうございました。またのおいでを楽しみにしております。
[228] 美作・徳山家26代目当主 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2017/07/30(Sun) 21:04
美作(今は岡山県真庭市蒜山上徳山)の徳山家、26代目の当主、徳山周一さんと、フェースブックの友達になりました。ご本家の当主、25代目の(故)博さんとは、物理的にお会いして玉露をご馳走になった仲でしたが、今回は26代ともより密な連絡が取れるということになりました。25代目の奥様とは℡ではなすなかですが、これで僕の徳山家のネットワークは、拡大しました。ご報告まで。
[227] 究極の地獄うどん 投稿者:徳山家のくいしん坊 投稿日:2017/01/16(Mon) 17:49
徳山村で栽培されていた唐辛子と同じ株の
乾燥唐辛子で”地獄うどん”をつくることが出来ました。
辛さのなかにうまみがありおいしかったです。
*徳山にまつわるお料理など情報お願い申し上げます。
[226] Re:[225] 寛政重修諸家譜 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2016/05/31(Tue) 09:00
> 管理人さまは阿智神社へ行かれたことはありますか?
徳山女子さま、ようこそおいでくださいました。
この頃は、ネットを通じてかなりのことまで調べることができるようになりました。ありがたいことです。
私も阿智神社には行っておりません。まだまだ調べてみたいことはたくさんありますね。わかったことがありましたら、お教えください。
ありがとうございました。またおいでください。
[225] 寛政重修諸家譜 投稿者:徳山 女子 投稿日:2016/05/30(Mon) 15:11
みなさま、こんにちは。
国立国会図書館デジタルコレクションにて
寛政重修諸家譜
第73冊
61コマ~83コマまで
旗本・徳山家の系譜を見付けました。
わたくしの母系も坂上氏なので
倉敷にある阿智神社へ行ってみたいです。
管理人さまは阿智神社へ行かれたことはありますか?
[224] Re:[223] [222] 岡山県笠岡市吉田村出身の徳山です 投稿者:徳山雅記 投稿日:2016/05/22(Sun) 05:11
早速の返信ありがとうございます。
二人ほど徳山村の元村民の方にお会いしたのですが、自分の苗字を明かす時、来歴とその根拠をうまく紹介できずもどかしい思いをしたので、次からは自信を持ってきちんと伝えたいと思います。
かならず「どちらの徳山さんですか?」と聞き返されるので、そう名乗られる方が過去にもいたのかなあということと、徳山村出身者の方も、徳山姓についてはある程度関心をお持ちなのだと感じました。
次の機会にまたもう少し聞いてみようと思います。
「駿河徳山」にも興味があります。
名前について考えていくと、縁があるとは思ってもみなかったところに親しみや関心を持つようになるのがとても面白いですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
[223] Re:[222] 岡山県笠岡市吉田村出身の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2016/05/21(Sat) 22:31
徳山雅記さま、ようこそおいでくださいました。
笠岡市吉田の徳山氏については、このサイトの「徳山姓のルーツ」-「岡山県笠岡市の徳山氏」に書いたとおり、天正14年以降の歴史は確実と思われます。それ以前については、徳山五兵衛家に伝わった資料に美濃の徳山氏の流れであると書かれているのが、私が見つけた中で唯一の資料です。
また、口伝で、「吉田の徳山氏は近江から来た」というのが伝わっています。同じ旧吉田村の石田氏をはじめ、備中には近江から来た家が多いというのも事実です。
それらの調査結果を総合して、吉田の徳山氏のルーツは美濃と推測しています。
今後とも情報交換させてください。ありがとうございました。
[222] 岡山県笠岡市吉田村出身の徳山です 投稿者:徳山雅記 投稿日:2016/05/20(Fri) 03:55
はじめまして。
数年前、徳山姓のルーツに興味を持った兄から教えられ、こちらのサイトを知りました。大変勉強になります。
大学生のとき、増山たづ子さんの写真集を知ったのをきっかけに、岐阜県の旧徳山村に関心を持ち、今年の連休にようやく徳山ダムや徳山会館を訪問してきました。
徳山という地名にも姓にも興味がありますが、目下最大の関心は、自分のルーツ(の一つ)は徳山村の徳山貞信(かもしれない)と言えるのかどうかということです。
今後とも何とぞよろしくお願いします。
[221] Re:[220] 海竜 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2015/08/06(Thu) 18:49
小田原の徳山様、お久しぶりです。
今後ともよろしくお願いいたします。
[220] 海竜 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2015/08/06(Thu) 18:01
お久しぶりです。
広島原爆の日の今日、こんな記事を発見しました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000046-at_s-l22
ところで「小田原の徳山」ですが、ウチの親族以外にも、今住んでいる家のくに知らない徳山家がありました。
[219] Re:[218] こんにちは 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2015/08/02(Sun) 10:01
竜介町出身の徳山さま、ようこそおいでくださいました。
「徳山姓のルーツ」に書きましたように、小松市は徳山一族のゆかりの地です。すでにご先祖様のことはお調べかもしれませんが、除籍謄本などで調べてみると、石川にお住まいの徳山さんは以外に簡単に、徳山四郎兵衛尉までつながるかもしれません。
何か情報をお持ちでしたら、「管理人へのメール」からでもお知らせいただけると有難く存じます。
時々おいでください。
[218] こんにちは 投稿者:こんにちは 投稿日:2015/07/30(Thu) 12:55
HP拝見いたしました。
石川県小松市の竜介町出身の徳山です。
よく祖母が幼い頃の思い出話を話していました。
[217] Re:[215] & Re:[216] 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2015/05/17(Sun) 16:37
「トクサンです」さま、「とくやまN子」さま、ようこそおいでくださいました。
末永くよろしくお願いします。
[216] 夏休みのおでかけに! 投稿者:とくやまN子 投稿日:2015/05/17(Sun) 15:55
みなさま、こんにちは。
揖斐川町のサイトでおもしろいツアーを見付けました。
旧徳山村に行くことが出来ます。
http://www1.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/puchi/damu_chitei.html
アメリカから、美濃守の末裔さんが来日するので一緒に探検しに行こうかなと考えています。
夏限定なのかな?おもしろそうです!
[215] 無題 投稿者:トクサンです 投稿日:2015/03/22(Sun) 00:26
私のお婆ちゃんが石川県辰口町の徳山でした
[214] Re:[213] ご参考まで2 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/12/05(Fri) 09:48
> 度々、恐縮に候。
いいえ、度々ありがとうございます。また情報がありましたらお寄せください。感謝です。
[213] ご参考まで2 投稿者:沖縄、大好き德山です 投稿日:2014/12/02(Tue) 17:03
度々、恐縮に候。
人名力:日本姓氏語源辞典より
トクヤマ 徳山
①岡山県真庭市蒜山上徳山・下徳山発祥。
戦国時代から記録のある地名。
②岐阜県揖斐郡揖斐川町徳山発祥。
地名は「徳ノ山」とも呼称した。
同地に南北朝時代にあった。
③コリア系大韓民国忠清南道洪城郡徳山(トクサン)面発祥。
本姓は洪が主流。
④鹿児島県大島郡徳之島町亀徳(旧:秋徳)発祥。
江戸時代から記録のある地名。
秋徳の「徳」の字を使用したもの。
*新たな発祥地の発見ですかねぇ?!*
トクヤマ 渡久山
沖縄県宮古島市、沖縄県那覇市。
徳山の琉球形。
琉球音はトゥクヤマ。
沖縄県国頭郡今帰仁村運天の小字の渡久山は「徳山」と表記していた。
以上
[212] Re:[211] ご参考まで 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/11/30(Sun) 23:04
> つまり、徳山姓=渡久山姓は同じということでしょうか?!
「沖縄、大好き徳山です」さま、ようこそおいでくださいました。しかも、貴重な情報をありがとうございます。
身近な Wikipedeia にこんな情報が載っていたなんて、気がつきませんでしたね。今後確認が必要ですが、かなり、ビンゴ!な気がします。
ありがとうございました。これを契機に、どなたか、沖縄の徳山さん、渡久山さん、決着をつけるような情報はありませんか?
[211] ご参考まで 投稿者:沖縄、大好き德山です 投稿日:2014/11/30(Sun) 15:01
人名力沖縄県&沖縄県の名字Wikipediaから抜粋
薩摩藩による侵攻以後、家名に漢字を充てるようになる。
1624年島津藩による
「大和めきたる名字の禁止」の通達が出される。
日本風の姓は改めらるか当て字を換えた三文字などに変更させられた。例:徳山→渡久山
薩摩を含む本土から移住した人々も同様の改姓、改名が行われる。
これは、琉球を通じた中国との交易を継続する上で琉球をあえて、”異国風”に留めておきたいという狙いがあったとされる。
ただ、この政策は徹底されたものではなく日本風の家名も実際には多く残存した。
つまり、徳山姓=渡久山姓は同じということでしょうか?!
[210] Re:[209] 沖縄県の徳山性 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/11/29(Sat) 12:12
> 沖縄県に徳山性と有りますが、ルーツがしりたいです。
徳山定幸さま、ようこそおいでくださいました。
ウェブにも書きましたとおり、沖縄県の徳山姓の由来については、まだ情報がほとんど寄せられておりません。ただ、このサイトの「(旧)ゲストブック」に、「現在は徳山を名乗っているが、祖父母は渡久山だった」とか、「今帰仁村にある渡久山は戦前は徳山だったと聞いています」という書き込みがあります。渡久山と徳山は関係が有りそうで、今帰仁村の方で経緯をご存知の方がいらっしゃるかもしれません。それ以上はまだ調べられておりません。
なお、私の知る限り、江戸の旗本徳山氏の方も、岡山県川上村の徳山氏も、笠岡の徳山氏も、戸籍上は「心」の上に「一」の入った旧字を使っています。
何かの折に、沖縄県の徳山氏について分かったことがありましたら、お知らせいただければありがたく存じます。よろしければ時々おいでください。ありがとうございました。
[209] 沖縄県の徳山性 投稿者:徳山定幸 投稿日:2014/11/24(Mon) 17:33
沖縄県に徳山性と有りますが、ルーツがしりたいです。
りたいです。しかも、戸籍には旧漢字の徳の(心)の上に(一)が入ります。知る限り教えて下さい。
[208] 書き込みありがとうございました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/11/20(Thu) 22:11
「徳山家の食いしん坊」さま、「徳山てつんど」さま、書き込みありがとうございました。
しばらく書き込みをいただくことがなかったのですが、人生悪いことばかりではありませんね(大げさ?)。今度は、2日続けての書き込み、感謝です。これからもよろしくお願いします。
[207] 德山神社の紅葉 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2014/11/18(Tue) 10:24
今年もまた、蒜山の亀さんのブログで、德山神社の紅葉を掲載していただきました。ココは僕の祖先が祭られている神社です。岡山の山の中、蒜山の上德山にあります。
1200年だ位から続いている、德山族です。
紅葉をお楽しみください。
[206] 徳山村・伝統料理”地獄うどん” 投稿者:徳山家の食いしん坊 投稿日:2014/11/17(Mon) 23:49
みなさま、こんにちは!
徳山村の伝統料理”地獄うどん”を見つけ、作ってみました。
~レシピ~
乾麺をゆでる時、唐辛子も入れる。
茹であがったうどんに、魚の缶詰(シーチキン、鯖、いわしetc)とねぎしょうゆタレに絡めていただきます。
わたしは、たまごを入れました!
*クックパッドにも掲載されています*
おいしかったですよ~
[205] 「徳山」のルーツ その2 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2014/06/01(Sun) 20:48
こんなのも見つけました。
德山文書:岡山大学付属図書館蔵
徳山家文書は美作国大庭郡上徳山村(現、真庭市蒜山上川上)の徳山家に伝来された古文書・記録類4,676標目 10,248点である。徳山家の初代といわれる徳山将監が南北朝末期に美作守護職赤松氏麾下の岩倉権守春時の家老であったといわれる。正平17年(1362)山名時氏の美作攻略後は山名氏に属し、一時は紀州に転戦し、居を構えたとされるが、後に旧里に帰り帰農したといわれる。文化・文政の頃に地元屈指の地主へ成長したと言われる。徳山家文書もその頃の田地売券・借用証文類が多い。鉄山経営史料も多い。
[204] 「徳山」のルーツ 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2014/06/01(Sun) 20:46
こんなのをみつけました その1
美作国徳山氏の歴史 「徳山一族」 (日本家系協会、平成10年)
「美作国の徳山氏は豪族なり。即ち、同国真庭郡徳山村より起こる。世々、上徳山の地頭職たりしものにて、応永年間の徳山右馬丞より、永禄の徳山新四郎に至る180年間、山中に於いて権威ありて、徳山屋敷などの古跡存す。その後、衰微して津山領となり、中庄屋たりという。」
当地の徳山家の初代といわれる徳山将監は、南北朝末期に嫡男右馬丞とともに美作守護職赤松氏の重臣岩倉権守春時(上徳山岩倉城主)の家老であったといいます。このころ、伯耆の守護山名時氏は南朝に帰順していましたが、後に南朝側から離れたので、1353年、幕府は山名時氏の次男義理(よしまさ)を美作の守護にします。このため、美作の勢力地図は大きく変わり、岩倉権守春時は山名氏のために滅ぼされます。
正平17年(1362年)山名時氏の美作攻略後、徳山将監は山名氏に属して、一時紀州に転戦し雨山城に居を構えますが、後に旧里に帰ったと伝えています。徳山家にはその時のものと伝えられる、応永2年(1395年)の「しゅうけん」から右馬丞に宛てた田地譲状1通が残っています。当時は兵農未分離の時代ですから、戦国時代に至るまで、美作の国人として勢力を張ったのでしょう。太閤検地などによって兵農分離がなされた頃から徳山家も帰農したと考えられます。
江戸時代末期の文化頃の利左衛門から周蔵、集蔵の3代の間に、徳山家は急速に土地の集積を進め、文政5年(1822年)には100石を越えて、山中地方(真庭郡北部)屈指の地主へと成長します。徳山家は、「山中タバコ」の販売を営むとともに、酒・酢・醤油製造なども手がけ、上福田村庄屋、中庄屋などを歴任し、村内での指導的地位を確立します。また、周蔵、集蔵の代には鉄山経営にも乗り出し、美作から伯耆にわたり30数山の鉄山を持って、砂鉄の採取から鍛冶屋経営まで-つまり、鉄の採取から製品生産までの工程を一貫して経営する大鉄山師となっていきました。明治以降も、集蔵の孫朝太郎が川上村長を勤めるなど、地域の名家として存続しています。
「川上村史」(昭和55年)などをもとに記述。
[203] Re:[202] 徳山家の山城跡 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/05/09(Fri) 12:18
> こんなブログ、見つけました。
徳山てつんど様、いつもおいでいただき、書き込みありがとうございます。
このブログにもリンクを張らせてもらわないといけませんね。先方ともお話ししてみたいと思います。
ありがとうございました。
[202] 徳山家の山城跡 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2014/05/08(Thu) 13:41
こんなブログ、見つけました。
でも、コメントもメールもできません。
[201] 徳山家にまつわる企画展のご案内 投稿者:岐阜(玉名ルーツ)の德山です 投稿日:2014/03/31(Mon) 01:10
てつんどさま、はじめまして。
管理人さま、この場をお借りします。
HP拝見させていただきました。
分家騒動展は、場所を変え4月6日(日)まで各務原市中央図書館展示室(3階)にて開催しています。
内容に関しては、詳しく説明する力量がありませんのでお許しくださいませ。
[200] Re:[198] 徳山家にまつわる企画展のご案内 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2014/03/30(Sun) 06:11
岐阜の徳山さま、
美作の德山の末裔です。
「分家騒動」、僕んちも分家です。なんだか興味がありますが…。ちょっと行けそうにもありません。
内容、知りたいです。
僕んちの件は、HPの中に書いています。
[199] Re:[198] 徳山家にまつわる企画展のご案内 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2014/02/23(Sun) 21:41
> 管理人さま、皆さま、こんにちは。
こんにちは。岐阜の徳山さま、ようこそおいでいただきました。
企画展のお知らせありがとうございます。どんな内容なのでしょうか?すぐに行けないのが残念です。
また、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。
[198] 徳山家にまつわる企画展のご案内 投稿者:岐阜の徳山です 投稿日:2014/02/23(Sun) 00:59
管理人さま、皆さま、こんにちは。
只今、岐阜県各務原市木曽川文化史料館4階にて
~徳山分家領騒動~として、企画展が催されています。
2月28日(金)までで、無料です。
私は、21日に行って来ました。
*旗本徳山氏の裁量の良さとお宝を見ることが出来、楽しめました!
[197] Re:[196] 德山神社 秋 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2013/11/07(Thu) 21:59
> 蒜山の自然を愛している蒜山の亀さんが、德山神社を取材されています。美しい紅葉を楽しみください!
管理人の徳山です。美しいイチョウとモミジのお写真、拝見しました。いつもありがとうございます。
[196] 德山神社 秋 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2013/11/07(Thu) 07:41
蒜山の自然を愛している蒜山の亀さんが、德山神社を取材されています。美しい紅葉を楽しみください!
僕ン穂にも、起債があります。写真は、亀さんからの借り物です。
http://tetsundojp.wix.com/woeld-of-tetsundo
です。
[195] リンク 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2013/08/07(Wed) 09:39
ご了解を得て、「てつんどの世界」の家系ページとHPトップにこのサイトへのリンクを張らせていただきました。
私にとっては、ある種の身分証明になります。
フェースブックと、ツィッターにも紹介しました。
東京にお帰りであれば、折りがあればお会いしたいものです。
[194] Re:[193] リンク 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2013/08/06(Tue) 22:47
> 僕のHP「てつんどの世界」の経歴(家系を含む)に、この「德山姓の研究」にリンクを張りたいのですがお許しいただけますか?
徳山てつんど様、リンクの件、もちろん大歓迎です。どうぞよろしくお願いします。
ところで、2年余に及んだ仙台勤務を終え、8月から東京に戻ってまいりました。またお近くになりましたね。引き続きよろしくお願いいたします。
[193] リンク 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2013/08/06(Tue) 06:01
僕のHP「てつんどの世界」の経歴(家系を含む)に、この「德山姓の研究」にリンクを張りたいのですがお許しいただけますか?
[192] Re:[191] 德山神社 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2013/06/02(Sun) 11:36
> 管理人さん、お元気ですか?
> 僕の方は歳を考えて、自分のエンディングノート、自分の塑像を作ろうと新しいHPを立ち上げました。
徳山てつんど様、いつもありがとうございます。
新しいHP拝見しました。いつも、品の良いデザインと読みやすい文章をお書きですね。お父様が画家でいらしたことも初めて知りましたが、それで素質がおありなのでしょうね。そういえば、お顔やお歳も初めて知りました(笑)。私より、15年ほど先輩です。これまで失礼をいたしました(笑)。
エンディングへの準備は準備として、末永くお付き合いください。私の父も、エンディングへの準備を始めてから15年以上元気でしたから。
書き込みありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
[191] 德山神社 投稿者:徳山 投稿日:2013/06/02(Sun) 07:41
管理人さん、お元気ですか?
僕の方は歳を考えて、自分のエンディングノート、自分の塑像を作ろうと新しいHPを立ち上げました。
美作の国、上德山の「德山神社」の写真を見つけて、系譜に添付しました。孫たちが大きくなったら、じいじの姿を垣間見ることができるように…。
[190] Re:[189] 27代目 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2013/01/24(Thu) 20:46
> まだ、仙台ですか?
> 今年は雪が多いようですね。
はい、仙台3年目に突入しました。引き続き、復興に関わっております。
私が来てから、どういうことでしょうか? 3年続きの豪雪です。特に今年は多いですよ。先週仙台でも20cmの積雪があり、気温が低いので解けないうちに明日からまたユキの予報です。国見の丘は、さらに雪深いですよ!
このゲストブック、てつんどさんとの文通コーナーになっていますが(笑)、最近、書き込みしてくださる方も少ないので、まあ良いですかね。(^_^;)
また、よろしくお願いします。
[189] Re: 27代目 投稿者:德山てつんど 投稿日:2013/01/23(Wed) 22:15
まだ、仙台ですか?
天気予報を見るたびに、5年住んだ仙台に目が行きます。
今年は雪が多いようですね。
川内はどうでしょう。
横浜に帰っていてよかったなぁと思います。
お大事に!
[188] Re:[187] 27代目 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2013/01/23(Wed) 12:10
徳山てつんど様、お久しぶりです。いつも、おいでいただき、ありがとうございます。
今年も寒い冬ですね。このまま行くと、3年続きの豪雪年になりそうです。爆弾低気圧とか、日本の気象も変ですし、地震の活動期に入ったというのも本当かもしれません。
徳山姓の発祥の地として、今までの調べで明らかになったのは、岐阜県の徳山と岡山県北の徳山の2カ所です。いずれも、20代以上続くご本家がしっかり守っていらっしゃいます。岡山のご本家の安泰を祈るばかりです。
また、時々おいでください。お待ちしております。
[187] 27代目 投稿者:德山っつんど 投稿日:2013/01/23(Wed) 07:34
今年になって、大山付近は大雪。
心配になって、故徳山博さんの奥様にお見舞いの℡。
8x歳で車の運転。元気そうです。
懸案の27代目の当主、相変わらず決まらず。
心配していました。
お孫さん二人は神戸と東京。
田舎に戻ってくれるか…とやきもき。
600年も続くご本家にとっては一大事。
でも、こうやって限界集落はなくなっていくのかもと、ちょっとさびしいですね。
[186] Re:[185] ありがとうございました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2012/09/10(Mon) 21:07
> 曽祖父の名前が長男なのに徳山十太郎だったので不思議におもっていたのですが何か関係があったのかもしれませんね。同じ時代ですので。
徳山真さま、このサイトをよくご覧いただき感謝です。
確かに、お名前の感じからすると、何か関係がありそうではありますね。曾祖父というと、おそらく明治初期のお生まれくらいでしょう。明治7年の基本帳に載っているお二人は、その時点で家長でしょうから、もう1-2世代古い方になると思われます。除籍謄本などをおとりになって、その中にこのお二人のお名前があったらビンゴ!ですけどね。
こちらももう少し調べてみて、新しいことがわかったらお知らせします。何か情報があれば、差し支えない範囲で結構ですので、お教えいただければありがたく存じます。
またおいでください。
[185] ありがとうございました 投稿者:徳山 真 投稿日:2012/09/10(Mon) 09:09
細川藩藩士名簿を調べていただきありがとうございました。曽祖父の名前が長男なのに徳山十太郎だったので不思議におもっていたのですが何か関係があったのかもしれませんね。同じ時代ですので。
[184] 細川藩に徳山氏発見!! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2012/09/09(Sun) 15:09
細川藩の士族名簿をチェックすることができました。何と!ありました、ありました。徳山家が2家見つかりました。
インターネット上に「肥後細川藩拾遺」というサイトがあり、ここで、明治7年の「有禄士族基本帳」(肥後細川藩、宇土藩、高瀬藩の禄を受けていた士族の名簿)が紹介されていて、以下の2家がありました。
・徳山隆太郎
・徳山源十郎
徳山真さんからお教えいただいた、「細川家が熊本に移った時に一緒に来た」というのは、信憑性がありそうです。肥後細川家は、和泉守護→足利将軍家近臣→織田家配下→丹後→豊前→肥後と移ってきていますので、徳山氏はこのいずれかの段階かで細川家に仕えたものと思われます。面白いことになってきました。
徳山真さん、ヒントをありがとうございました。熊本在住の皆様、そのほかの情報がありましたら、お寄せください。
[183] Re:[182] 玉名出身の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2012/09/04(Tue) 22:21
> こんにちわ、このサイトは何度か楽しく見させていただいてました。
徳山真さま、何度もおいでいただき、書き込みもいただきましたこと。誠にありがとうございます。
> 玉名の徳山については父が生前、細川家が熊本に移った時に一緒に来たといった話をしていましたが本当かどうか定かでありません。
貴重な情報をいただきました。玉名郡には多くの徳山さんがいらっしゃいますが、名字の地がどこなのか、ルーツがわかっておりません。このようにいろいろと情報をいただく中からわかっていくものと思っております。とりあえず、細川藩の藩士名簿を当たってみる必要がありますね。
> また何か分かったらメ-ルします。
どうぞよろしくお願い致します。「ゲストブック」でも良いですし、「管理人へのメール」から直接メールをいただくことも出来ます。お待ちしております。
[182] 玉名出身の徳山です 投稿者:徳山 真 投稿日:2012/09/04(Tue) 15:48
こんにちわ、このサイトは何度か楽しく見させていただいてました。全国に徳山さんが大勢いらっしゃるのに驚いていました。今年父の13回忌のため写真を探していたところ古い戸籍がでてきて自分のル-ツを江戸時代後期まで遡れました。私の祖父は熊本県玉名の出身です。戸籍には高祖父まで載っておりました。江戸時代まで自分の祖先を知ることができて不思議な気分でおります。玉名の本家には徳別当という祠があり、地元の新聞には縁結びの神様と紹介されておりますがかなり古いもので詳細は不明です。父が子供のころ祠を掘ろうとして大目玉をくらったと話していたことを思い出しました。現在本家には誰も住んでなく本家の人は東京都目黒に越してきています。ちなみに私は千葉県柏市に住んでおります。
玉名の徳山については父が生前、細川家が熊本に移った時に一緒に来たといった話をしていましたが本当かどうか定かでありません。また何か分かったらメ-ルします。
[181] Re:[180] わたしも徳山です! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2012/07/22(Sun) 22:03
吉田の徳山さま、ようこそおいでくださいました。
私も本籍は吉田ですので、ご親戚ですね。
> 徳は心の上に一本線が入るのですが、入るものと入らないものと違いがありますか。
笠岡の徳山さんは戸籍上、一本線の入る徳の字を使っている方がほとんどなのでしょうね。私のうちもそうです。全国的には、戸籍上はどちらもあるようです。通常は、こだわりのある方は日常も旧字を使っていて、そうでない方は、戸籍と運転免許証だけが旧字というケースが多いのではないでしょうか。
なお、このサイトで徳山姓の分布などを調査する場合にはこれを区別しておりません。解析の元になる電話帳のデータに区別がないので、分けられないのです。
よろしければ、時々おいでください。書き込みありがとうございました。
[179] Re:[178] これは… 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2012/02/16(Thu) 21:29
小田原の徳山さま、お久しぶりです。ようこそおいでくださいました。
岐阜に領地を持つ旗本徳山氏の資料でしょうか?あるいは、別の徳山家でしょうか?
情報ありがとうございました。
[178] これは… 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2012/02/15(Wed) 14:58
お久しぶりです。
このようなHPを発見しました。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/shakaikyoiku/kankeikikan/rekishi-shiryokan/mokuroku/rekishi/4akaza/akaza1-kinse2.html
[177] Re:[176] 最後の墓参り 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/11/03(Thu) 22:09
徳山てつんど様、お久しぶりです。ようこそおいでくださいました。
岡山県上徳山のご本家にいらっしゃいましたか。600年続いた旧家のたたずまい -- 私も伺った日のことをよく覚えております。博さまからいろいろなお話しを伺いました。
また、時々おいでください。
[176] 最後の墓参り 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2011/11/01(Tue) 09:12
岡山と鳥取の県境の上德山。
800年の歴史のある「般若寺」で、父、姉、祖母を含む先祖の墓に参ってきました。
ご本家、蔦に〇に家紋のご本家にもお伺いしました。
600年続いた家の27代をお孫さんがが継げるかどうか心配だと、亡くなった博さん(25代目)のご高齢の奥様がおっしゃっていました。
米子からレンタカー。もう行くことはない旅。大山、蒜山、日本海を楽しみました。
てつんど
[175] Re:[174] 北海道の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/10/06(Thu) 21:39
> 2007年に訪れたものです。
> ご無沙汰でした。
徳山H様、お久しぶりです。ようこそおいでくださいました。
ルーツ調査、除籍謄本をお取り寄せになったのですね。思い立って一気にやらないと、いつかいつかと思っているうちに時間がたってしまいますよね。
> 確か180年位前までたどり着き、熊本・玉名郡でした。
玉名郡には多くの徳山さんがいらっしゃいます。でも当サイトにいらっしゃった方は初めてだと思います。玉名の徳山氏がどこから来たのか、まだわかっていません。
> 必要であれば情報提供いたします。
おわかりになったことがありましたら、差し支えない範囲でお教えいただければ有り難く存じます。
別途、メールさせていただきます。
書き込みありがとうございました。
[174] 北海道の徳山です 投稿者:徳山H 投稿日:2011/10/06(Thu) 20:44
2007年に訪れたものです。
ご無沙汰でした。
その後、ルーツを調べてみました。
確か180年位前までたどり着き、熊本・玉名郡でした。
80年間戸籍に動きがないと、末梢されるとは…
必要であれば情報提供いたします。
頑張り過ぎず頑張ってお過ごしくださいませ☆彡
[173] Re:[172] ビックリしました! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/22(Sun) 18:20
> びっくりしました。実は僕は、この2月末に仙台から横浜に戻りました。
徳山てつんど様、たびたびの書き込みありがとうございます。旧ゲストブックでは、書き込みがうまくいかず、ご迷惑をおかけしました。新ゲストブック第1号です(感謝)。
さて、こちらもびっくりです。今度は仙台でチェルト君ともお目にかかれると思っていたのですが、見事に入れ違ってしまいましたね。
さらに、3.11午前で仙台を離れるなんて、何というタイミングなのでしょう。恐れ入りました。強運を少し分けてください。
ただ、私の方も大きな被害はなく、貴重な経験をいたしました。今ではだいぶ落ち着いています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
[172] ビックリしました! 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2011/05/22(Sun) 16:34
管理人の徳山さま、
2011/04/02に管理人さんの下記、書き込みがありました。
(返信を書き込むのが遅くなりました。実は管理人は1月から仙台に住んでおりまして、東日本大震災の直撃を受けました。その復旧に関わっております。)
この記述にびっくりして、次のような書き込みをいたしました。
「元・仙台の徳山から、今・仙台の徳山様へ」
びっくりしました。実は僕は、この2月末に仙台から横浜に戻りました。
そして、売却した仙台のマンションの引き渡しの日が、奇しくも3月11日のAMでした。
もともとは、14:26の「はやて」を予約していましたが、引き渡しが早く終わったので、小雪もふりはじめましたので、早く帰ろうと仙台駅に向かいました。
幸い、12:26の「はやて」に変更ができたので、その「はやて」で東京まで戻りました。
横浜から、京急に乗って金沢方面に向かう途中、14:46の大震災で、電車の中に閉じ込められました。
1時間40分くらい閉じ込められましたが、その後、線路を歩いて戸部駅まで戻りました。
そこから横浜駅まで歩いて知っているホテルを訪ねましたが、すでに満室。
横浜駅の中央コンコースに段ボールを敷いて、帰宅難民になりました。
幸い、横浜・西区が避難所を設けてくれたので、一時避難。
TVでしか見たことのない、体育館でカップめんンと毛布をいただき、翌朝、4時半にタクシーをさがして、5時過ぎに自宅に帰りました。
これは強運だと、神様に感謝しました。
仙台のマンションの買主さんも多賀城で被災され、水道以外は無傷だった元僕のマンションに避難されました。
ご家族4人が落ち着かれたようで、売り主の僕も安堵しています。
そこに管理人さんが、仙台に1月から居住されていて、被災されたと聞き、お見舞いの書き込みをしようとしたわけです。
書き込みは、二度ほどトライしましたがダメでした。
「荒し」もさることながら、管理人様の被災からの早い復興を願っています。
強運の徳山より。
[171] 掲示板を更新しました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/21(Sat) 14:53
ゲストの皆様
いつも「徳山ネットワーク」においでくださり、また、「徳山さんゲストブック」に書き込みいただきありがとうございます。
最近、掲示板荒らしの被害が増えておりました。また、その対策としてとった各種アクセス制限のために、一般の書き込みが拒否されるケースがありました。これらを改善するため、掲示板のソフトを新しいものに致しました。投稿キーを入力いただくタイプのスパム投稿対策付きのものです。お手数ですが、よろしくお願いいたします。
また、旧ゲストブックの過去ログについては引き継がれず(ていうか、引継ぎ方がわからず(笑))、別のページに掲載することとなりました。恐縮です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
[170] Re:[169] 父の本籍は岡山県笠岡市吉田です! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/15(Sun) 14:30 |
> 私の父も管理人さんと同じく吉田出身です。もしかしたら、遠い親戚?かもしれませんね。
田中様、重ねてありがとうございます。
遠い親戚どころか、近い親戚かもしれませんよ。吉田の徳山氏は3つの大きなグループとそれ以外に分かれています。グループは四兵衛の流れをくむグループ、五兵衛の流れをくむグループと、高称寺周辺に固まっているグループ(二兵衛の流れではないかと推測しているのですが確定していません)の3つです。
グループごとに家紋や墓地も違いますからすぐわかります。
いずれにしても、天正14年に吉田に来た徳山五平清勝の子孫ということでは親戚ですがね。
また、時々おいでください。
[169] 父の本籍は岡山県笠岡市吉田です! 投稿者:田中 美樹江 投稿日:2011/05/15(Sun) 12:48 |
旧姓・徳山の田中美樹江です。お返事ありがとうございます。
私の父も管理人さんと同じく吉田出身です。もしかしたら、遠い親戚?かもしれませんね。
母の命日がちょうど書き込みをさせていただいた11日でして、このサイトに出会えたのも母からのプレゼントかなと大変嬉しく思っています。
今年が50回忌で、8日の母の日に吉田にお墓参りをしてきました。父の本籍地のすぐ近くで、徳山のお墓がずらっと並んでいます。
また、父から詳しく聞いて、メールさせていただきます。
[168] Re:[167] 徳山姓のルーツに納得! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/11(Wed) 22:50 |
田中様、ようこそおいでくださいました。
私も、父が元気なうちにと思い、10年前に一念発起してルーツ調査を始めました。我が家のように、特に系図もなく、名家でもないところでも、結構調べられるものです。父は2年前に亡くなりましたが、かなり遡ることが出来ました。
お父様はどちらのご出身の徳山さんなのでしょう?そちらでわかったことがありましたらお教えください。よろしくお願いします。
またのおいでをお待ちしております。
[167] Re:[166] 父の本籍は岡山県笠岡市吉田です! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/15(Sun) 14:30 |
> 私の父も管理人さんと同じく吉田出身です。もしかしたら、遠い親戚?かもしれませんね。
田中様、重ねてありがとうございます。
遠い親戚どころか、近い親戚かもしれませんよ。吉田の徳山氏は3つの大きなグループとそれ以外に分かれています。グループは四兵衛の流れをくむグループ、五兵衛の流れをくむグループと、高称寺周辺に固まっているグループ(二兵衛の流れではないかと推測しているのですが確定していません)の3つです。
グループごとに家紋や墓地も違いますからすぐわかります。
いずれにしても、天正14年に吉田に来た徳山五平清勝の子孫ということでは親戚ですがね。
また、時々おいでください。
[166] 父の本籍は岡山県笠岡市吉田です! 投稿者:田中 美樹江 投稿日:2011/05/15(Sun) 12:48 |
旧姓・徳山の田中美樹江です。お返事ありがとうございます。
私の父も管理人さんと同じく吉田出身です。もしかしたら、遠い親戚?かもしれませんね。
母の命日がちょうど書き込みをさせていただいた11日でして、このサイトに出会えたのも母からのプレゼントかなと大変嬉しく思っています。
今年が50回忌で、8日の母の日に吉田にお墓参りをしてきました。父の本籍地のすぐ近くで、徳山のお墓がずらっと並んでいます。
また、父から詳しく聞いて、メールさせていただきます。
[165] Re:[164] 徳山姓のルーツに納得! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/05/11(Wed) 22:50 |
田中様、ようこそおいでくださいました。
私も、父が元気なうちにと思い、10年前に一念発起してルーツ調査を始めました。我が家のように、特に系図もなく、名家でもないところでも、結構調べられるものです。父は2年前に亡くなりましたが、かなり遡ることが出来ました。
お父様はどちらのご出身の徳山さんなのでしょう?そちらでわかったことがありましたらお教えください。よろしくお願いします。
またのおいでをお待ちしております。
[164] 徳山姓のルーツに納得! 投稿者:田中 美樹江 投稿日:2011/05/11(Wed) 13:03 |
旧姓徳山の私。父が健在の内に家系を調査しようと思い、まずは姓のルーツから知りたくて、このページに出会いました。ありがとうございました。
[163] Re:[161] :[162] 書き込み御礼 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2011/04/02(Sat) 12:01 |
3月31日に2件続けて書き込みいただき、ありがとうございました。
(返信を書き込むのが遅くなりました。実は管理人は1月から仙台に住んでおりまして、東日本大震災の直撃を受けました。その復旧に関わっております。)
そうですか、渡久山姓から徳山姓に変えられたケースもあるのですね。はじめて知りました。渡久山は沖縄だけの姓です。
熊本県も徳山さんがたくさんいらっしゃるのですが、そのルーツは研究できておりません。どこの徳山(地名)をルーツにされているのか、どこから来たかなど伝承などがあればお聞きしたいものです。
どうぞ時々おいで下さい。ありがとうございました。
[162] 無題 投稿者:徳山 投稿日:2011/03/31(Thu) 22:27 |
はじめまして。苗字のルーツに関するTVを観たきっかけで、自分の姓のルーツを調べていたらこちらに辿り着きました。(^^)
私は広島在住ですが、養父が熊本出身です。
[161] 渡久山 投稿者:徳山 投稿日:2011/03/31(Thu) 21:31 |
現在は徳山と名乗っていますが祖父母は渡久山だったそうです。祖父母は沖縄県出身です。
[160] Re:[159] 国際的「徳山姓の研究」 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2010/12/30(Thu) 17:06 |
> 管理人の徳山さん、お久しぶりです。
> 久しぶりに、お訪ねしたら、イタリアからの投稿とか。
> このサイトも、国際的になりましたね。
徳山てつんど様、お久しぶりです。時々、お訪ね下さりありがとうございます。
そうでした。イタリア語のことは、てつんどさんに聞けば良かったですね。イタリアでも、弓道を真剣に学ぶ方がいらっしゃるようで、驚きました。
てつんどさんも、どうぞまた足跡を残してください。ありがとうございました。
[159] 国際的「徳山姓の研究」 投稿者:徳山てつんど 投稿日:2010/12/30(Thu) 08:21 |
> 国際的になったものですねえ。もちろん、すぐに返事を出しておきましたよ、イタリア語で。
> とはいっても、イタリア語はBuongiorno(ボンジョルノ)と、Grazie(グラッツエ)だけですけど(笑)。あとは英語。
管理人の徳山さん、お久しぶりです。
久しぶりに、お訪ねしたら、イタリアからの投稿とか。
このサイトも、国際的になりましたね。
ご存じのとおり、僕は昔、イタリア・ミラノの住んでいましたから、今も毎日イタリア語を聞いて、読んでいます。
そうでないと、忘れます。
ウエブの翻訳ツール、いろいろありますが、ラテン系言語からの日本語への翻訳、逆も、ほとんど使えません。
そういう際は、イタリア語を英語にして読んでみるとまあ意味が取れます。逆もしかりです。
日本語は、欧米人にとっては、非常に難しい言語です。
でも面白いですね、外国在住の徳山さんがいっぱい集まったりして。
[158] Re:[157] 徳山勝弥太 範士 の写真 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2010/11/25(Thu) 23:09 |
イタリアからおいでいただきありがとうございます。...なんて書いても、ご本人は読めないですかね(笑)
イタリアで日置流の弓道をされている方からの「日置流中興の祖、徳山勝弥太範士」の写真の依頼メールです。しかも、ウェブの翻訳を使われたのか、日本語もついています。すごい。
国際的になったものですねえ。もちろん、すぐに返事を出しておきましたよ、イタリア語で。
とはいっても、イタリア語はBuongiorno(ボンジョルノ)と、Grazie(グラッツエ)だけですけど(笑)。あとは英語。
写真、喜んでもらえたかな。意外とこのページも、翻訳を使って読まれるかもしれませんね。ありがとうございました。
[157] 徳山勝弥太 範士 の写真 投稿者:giuseppe costa – Italy 投稿日:2010/11/25(Thu) 04:15 |
あなたは写真やビデオやその他の徳山勝也先生をお持ちの場合、私のアドレス宛てにメールを私に送ってください。
ありがとう
If you have photos or videos or other Tokuyama Katsuya Sensei, please send them to me at my email address.
Thanks
[156] Re:[155] 無題 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2010/09/02(Thu) 22:33 |
愛媛ご出身の徳山様、ようこそおいでくださいました。
愛媛県の徳山さんは電話帳ベースで53世帯いらっしゃいます。多いのは県西部で、旧内子町、野村町、長浜町に各6世帯、大洲市に4世帯、宇和町に3世帯などとなっています。新居浜市にも4世帯いらっしゃいます。今のところ、出自について情報をお寄せいただいていませんので、よくわかりませんが、おいおい研究して参りたいと思います。
時々おいでください。ありがとうございました。
[155] 無題 投稿者:徳山 投稿日:2010/09/02(Thu) 08:29 |
自分は愛媛の出身の徳山です。
かなり古い家であるとは聞いているのですが
あまり良く分かりません
ただ家の周りには徳から始まる徳井、徳永などの名前が多いので
何か関係があるのではないかなと思います。
[154] Re:[153] 無題 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2010/06/13(Sun) 11:28 |
> 初めまして。
> なんとなくネットサーフィンしていたら偶然このサイトを見つけました笑
皆さん、このサイトへは、だいたいなんとなく、偶然にいらっしゃいます。(^_^;)
奄美大島の徳山様、ようこそおいでくださいました。
このゲストブックの〔ワード検索〕から、「奄美」で検索していただくと、奄美大島からのゲストとのやりとりを見ることが出来ます。またおいでください。
[153] 無題 投稿者:とくやまですw 投稿日:2010/06/10(Thu) 00:05 |
初めまして。
なんとなくネットサーフィンしていたら偶然このサイトを見つけました笑
私の父は奄美大島出身です。私は関東在住なのですが奄美に住んでいる親戚はほとんどみんな徳山なので、奄美に帰ると周りは徳山だらけです^^;
全国に徳山姓がいることや韓国の方も徳山姓を使うことがあるのは初めて知ったのでとても驚きました!><
[152] Re:[151] 無題 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2010/04/10(Sat) 13:33 |
これはこれは、アメリカから、ようこそおいでくださいました。(ネットならアメリカも何もありませんが。(^_^;))
地域によっては、徳山さんとなかなか出会わないのですが、全国には結構いっぱいいらっしゃいます。少なくとも、稀少姓というほど珍しくはありませんね。
熊本も徳山さんの多い県です。玉名郡に特に多いですが、このゲストブックの〔32〕徳山里美さん、〔112〕旧姓徳山さんは阿蘇にルーツをお持ちのようです。
またのおいでをお待ちしております。
ps:ところで、本日、訪問者のカウンターが33333を記録しました。ゾロ目をゲットしたのはどなたでしょうか?
[151] 無題 投稿者:アメリカの徳山です 投稿日:2010/04/08(Thu) 22:40 |
私も結婚するまでは徳山でした
父が熊本出身で私は福岡市内で育ちました
偶然に徳山さんに出会う経験が今までなかったので
このサイトを見つけて驚いています
[150] Re:[149] 中山間地の徳山 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/12/08(Tue) 07:34 |
徳山徹人様、お久しぶりです。ようこそ。
徳山博さんご逝去のお知らせをお寄せいただき、恐縮です。博さんには、2006年にお訪ねした際、いろいろお教えいただきお世話になりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
私も、本籍地は笠岡市吉田のままにしております。学生時代に偶然同姓の人と一緒になった時、お互いの本籍地の話になり、何と2番地違いだったという経験をしました。2代前にはお隣さんだったなんて、本籍地が変わっていたらわかりませんでしたよね。子供にもそんな話をして、本籍地はそのままにしておいたらどうかと言っております。
いつもおいでいただき、感謝です。ありがとうございました。
[149] 中山間地の徳山 投稿者:徳山徹人(てつんど) 投稿日:2009/12/07(Mon) 08:53 |
管理人の徳山様
参照 : 〔125〕および〔126〕
ご無沙汰しています。
先日、ちょっと残念なニュースが入ってきました。でも、お知らせしたほうがいいと思い書き込んでいます。
管理人さんが、2006年に直接取材いただいた、岡山県上徳山の徳山博さん、昨年7月に天国に召された旨です。
奥様とお話いたしましたところ、博さんのご長男が後を継がれていて、お孫さんもいらっしゃるようなので、600年以上、同じ所に住み続けてきた徳山一族の系譜は確保されるようでした。まあ、安心といえるかもしれません。
しかし、話を聴いてみると、やはり上徳山 字天王に住み続ける徳山家は減っていっているそうで、僕の知っていた30戸から半分くらいにになったとか聞きました。残念ですが、やはり日本の中山間地は、同じような道をたどっているのかもしれません。
かくいう私も、本籍を代々の住処であった上徳山に、不便ですが自分のアイデンティティーとして残しています。でも僕の子供たちは結婚を期に、今の住所に本籍地を移しました。ということは、僕がくたばれば、岡山県の上徳山の系譜が一つ消えることになるようです。
まあ、皆にがんばって貰うしかありません。
ちょっと長く書きました。
[148] Re:[147] はじめまじて 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/11/14(Sat) 19:32 |
徳山弘樹様、ようこそおいでくださいました。
私の父も笠岡市吉田の生まれですので、弘樹さんは遠いご親戚ですね(笑)。吉田のことはいろいろと情報を持っておりますので、ご質問などございましたら「管理人へのメール」からメールをお送りください。
時々おいでください。お待ちしております。
[147] はじめまじて 投稿者:徳山弘樹 投稿日:2009/11/13(Fri) 15:29 |
大学の生物と人間という教科で「自分のルーツ」という題のレポートが出て資料を探していたらこのサイトに辿りつきました。私は岡山県に住んでいます。祖父母は笠岡市の吉田出身で、今でも吉田の徳山さんとは親戚づきあいさせていただいてます。こんなサイトがあるとは存じていませんでしたのでこれからはチェックさせていただきます。笑
[146] Re:[145] はじめまして。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/10/07(Wed) 22:22 |
> 沢山いらっしゃるんので、ビックリしました。
> 私の父は、鳥取県佐治村出身です。
旧姓 徳山様、ようこそおいでくださいました。
鳥取県の徳山さんは、〔17〕の鳥取市の徳山伸良様と、〔54〕の大栄町の徳山さんに次いで3人目です。佐治村ご出身の方は初めてですね。
前にも書いたのですが、鳥取県の徳山姓分布(H12年電話帳データ)は、大栄町18、鳥取市12、佐治村8、倉吉市7、以下8市町が各1(境港市、日野町、淀江町、関金町、東伯町、北条町、羽合町、岩美町)となっていますから、これでBEST3そろい踏みでしょうか(笑)。
出自はまだ手がかりがありませんが、こうしてだんだん情報が集まってくれば、伝承とか、家紋とかから追々解明されるのではないかと思われます。末永く、よろしくお願いします。時々おいでいただければ有り難いです。よろしくお願いします。
[145] はじめまして。 投稿者:旧姓 徳山です 投稿日:2009/10/05(Mon) 14:24 |
沢山いらっしゃるんので、ビックリしました。
私の父は、鳥取県佐治村出身です。
徳山というルーツを探していましたら、
こちらにたどり着きました。
父は亡くなっているので、何も分かりません。
私が分かる事は、祖父が宮崎県の方に、
出たということです。
私の所の徳山は、結婚していないか、
女の子しか産まれていないため、
途絶えるらしいです。
鳥取県の徳山の情報ありましたら、
教えてください。
全く交流がなく情報つかめません。
[144] Re:[143] お久しぶりです 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/09/26(Sat) 22:20 |
小田原の徳山様、こちらこそお久しぶりです。またおいでいただき、書き込みもいただき、ありがとうございます。
小田原の徳山さんは、加賀がルーツとおっしゃっていましたよね。美濃徳山発祥の徳山氏は織田家に従って加賀・能登に進出していますし、後に加賀の前田氏の家臣になっていた時もありますから、石川県に縁の深い徳山さんもたくさんいらっしゃいます。何代か前に神奈川にいらしたのでしょうね。
また、ときどきおいでください。お待ちしております。
[143] お久しぶりです 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2009/09/25(Fri) 01:13 |
>62 の者です。去年強制引越しの際に昔の写真や戸籍抄本だか謄本、花見箱などが出てきました。
写真を載せたいのですが普段、ネットを中心に日本のために活動しているので反日・売国系の人物に個人情報をさらすことになるのでここでは控えますが、かつて祖父の祖父辺りが横須賀に住んでたことなどが分りました。
[142] Re:[141] ごめんなさい。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/06/12(Fri) 22:52 |
徳永邦彦様、ようこそおいでくださいました。
また、こうして足跡を残してくださり、ありがとうございました。またのおいでをお待ちしております。
[141] ごめんなさい。 投稿者:徳永邦彦 投稿日:2009/06/09(Tue) 10:26 |
徳永邦彦です。
徳田姓を調べていたら貴サイトに出会いました。
2ちゃんねるで徳徳が着くのは全部在日外国人だと書き込まれていたので勝手に!
私としては遺憾でした。
徳山姓にも誤解がありました。
この場を借りてお詫びします。
[140] Re:[139] お返事有難うございます。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/05/31(Sun) 22:04 |
徳山嘉一様、重ねての書き込み、ありがとうございます。
ご当地の図書館に行きますと、藩士の名簿などが保管されていることがあります。本サイトでも、尾張藩士の名簿を掲載しております。色々なところに資料はあるものですね。
時々おいでください。ありがとうございました。
[139] お返事有難うございます。 投稿者:徳山 嘉一 投稿日:2009/05/26(Tue) 12:40 |
管理人の徳山様、お返事有難うございます。私共の「徳山家」はおそらく桑名藩に仕えていたものと想像いたしております。仕事柄、香港や英国などにも勤務もいたしましたが、海外在勤中、徳山さんにお会いしたことは、残念ながらございません。グループ会社に一人徳山さんがおりますので、このサイトを紹介しておきます。それでは、また、お邪魔いたします。
[138] Re:[137] 初めてお便りいたします 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2009/05/23(Sat) 12:32 |
> 管理人の徳山様、偶然、このサイトを発見、楽しませて戴いております。
徳山嘉一様、ようこそおいでくださいました。
こうやって、いろいろ情報が集まってくると、各地の徳山さんのルーツがわかることがあります。伊勢の徳山氏はどこから来たのでしょうね。
これからもよろしくお願いします。
[137] 初めてお便りいたします 投稿者:徳山 嘉一 投稿日:2009/05/21(Thu) 16:53 |
管理人の徳山様、偶然、このサイトを発見、楽しませて戴いております。現在、世田谷区瀬田に住まいしておりますが、亡父の実家は三重県桑名市風呂町20で、そこに私どもの本家にあたる徳山家がございます。私の弟は埼玉県草加市におりますが、実質、その三家のみです。どうも女系家族のようで、亡父の兄(既に死去)曰く、亡父の祖父まで七代婿養子を迎えていた、と。
[136] Re:[135] びっくり 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2008/11/10(Mon) 23:45 |
徳山博晃様、ようこそおいでくださいました。
石川県辰口徳山については、かねてから気になっていて、「徳山姓取材ノート」でも真っ先に取り上げました。そのご出身の徳山さんが来てくださるとは! 歓迎です。
これから、どうぞよろしくお願いします。
[135] びっくり 投稿者:徳山博晃 投稿日:2008/11/10(Mon) 20:39 |
こんなサイトがあるとは…石川県辰口徳山から出たもので、私で五代目です。いろいろと情報お願いします。
[134] Re:[133] 無題 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2008/10/23(Thu) 07:01 |
> ネットで家紋を調べてる途中で此処を見つけました。
田村様、ようこそおいでくださいました。
田村姓にはいろんな流れがあるようですが、坂上田村麻呂の末裔を称している方もあります。坂上つながりですかね(笑)。苗字の多い順では53位、約29万人いらっしゃいます。分布については以下の添野さんのサイトをご覧ください。
> また暇があったら覗かせて貰います。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
[133] 無題 投稿者:田村 投稿日:2008/10/21(Tue) 23:40 |
ネットで家紋を調べてる途中で此処を見つけました。
私は徳山市在住で、我が家の家紋は「丸に梅鉢」です。
元々戦国や城、和のものが大好きなので、こういうサイトがあるって何か嬉しいですね。
親に聞いた話だと、我が家の先祖は平家で、田村の清姫(伊達政宗の奥さん)だそうです。←どうでもいぃ話すみません(;w;)
また暇があったら覗かせて貰います。
[132] Re:[131] たまたま見つけて閲覧しまして。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2008/10/21(Tue) 23:05 |
黄様、ようこそおいでくださいました。久しぶりの書き込みで、とても嬉しいです。
以前から、在日韓国人の徳山さんからも書き込みやメールをいただいています。黄さんが徳山を名乗るようになったのはどんな理由があるのでしょうか?本貫の地は礼山郡徳山面ですか?ご存じのことがあればお教えいただけると有り難く存じます。
美濃の国徳山発祥の徳山氏は坂上田村麻呂の末裔と称していますから、本当だとすると、1600年ほど前に朝鮮半島から渡来したことになります。1600年前か、数十年前か、遅かれ早かれ渡来人と言うことですかね(笑)。
これからも時々おいでください。ありがとうございました。
[131] たまたま見つけて閲覧しまして。 投稿者:徳山です。 投稿日:2008/10/21(Tue) 09:51 |
こんなに徳山が
いらっしゃるとは^^
自分は本名 黄
通称名 徳山です。 コリアンです。
なかなか徳山さんに出会わないんで、珍しいのかな?
と思ってました。
過去に1人だけお会いしましたが、和の方でしたね^^
小学生の時は、「徳山」がつくとコリアンと思ってました^^;
異様に気にしてましたね。。。
[130] Re:[129] 散歩中にふらりと立ち寄らせて頂きました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/10/28(Sun) 22:19 |
> 徳で検索しておりましたら徳山さんのゲストブックにあたりました。
德江章吉様、ようこそおいでくださいました。
徳山も、戸籍上は「德」の字を使う方が多くいらっしゃいます。「德」つながりのご縁です。時々おいでください。ありがとうございました。
[129] 散歩中にふらりと立ち寄らせて頂きました 投稿者:德江 章吉 投稿日:2007/10/27(Sat) 11:20 |
徳で検索しておりましたら徳山さんのゲストブックにあたりました。私も何十年か前に流行った自分のルーツが知りたい年代に入ってきまして、特別に意識してはおらずとも匂いにフラフラと誘われてしまいます。德江の苗字も中国貴州省にその地名があると最近知り、興味を持っております。同じ苗字の方の家紋を聞いてみたり、はたしてそれが学術的にどうかというのは別にしても話が広がり楽しいものですね。又機会がございましたら寄らせてもらいます。
[128] びっくり 投稿者:徳山一郎 投稿日:2007/10/18(Thu) 22:07 |
私は逆で渡久山から徳山に変わったと聞きました。
先祖は首里城に遣えてたそうですけど。話は変わりますけど
三重の女の人は、肌が綺麗ですね。
[127] Re:[117] [116] 三重県の渡久山です 投稿者:徳山一郎 投稿日:2007/10/18(Thu) 21:48 |
> 渡久山かなえ様、ようこそおいでくださいました。
>
> 「人口・世帯数」のページに書きましたが、「渡久山」は沖縄の姓です。今帰仁村に渡久山の地名もあり、これが苗字の地と考えられます。
>
> > そういえば・・渡久山のバス停は「徳山」になってました。
>
> [77]の渡久山さんからの書き込みに、「今帰仁村にある渡久山は戦前は徳山だったと聞いています。いまだに地名として残っているところもあります。私の父が言うには戦後になって突然現在の渡久山になってしまったそうです。」という情報もあります。
>
> うーん...。どういう経緯なのか、真実を知りたくてウズウズしますね。
>
> いずれにせよ、ご縁があるようです。時々おいでください。お待ちしております。ご主人様にもよろしくお伝え下さいね。
[126] Re:[125] 久しぶりに… 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/09/08(Sat) 21:29 |
徳山徹人様、お久しぶりです。当サイトをのぞいてくださり、ありがとうございます。
はい、昨年5月、岡山県の上徳山に徳山博さんをお尋ねし、お話を伺ってきました。その時のことも「取材ノート」に書きたいと思いながら、さぼっています。
お変わりありませんか?また、時々おいでください。嬉しい書き込み、ありがとうございました。
[125] 久しぶりに… 投稿者:徳山徹人(てつんど) 投稿日:2007/09/04(Tue) 14:39 |
久しぶりに「徳山姓の研究」を見てみたら、ぼくの「本」のことが、サイトウヨウコさんと管理人さんとの間でやり取りされているのを発見してびっくり!
管理人さんには、「父さんは、足の短いミラネーゼ」の紹介までしていただいて感謝です。
サイトウヨウコ様には、感謝のメールを打っておきました。
管理人さんには、報告しなくてはと思いつつ、話してなかったのでここで報告しておきます。
今年の年賀状で、岡山県上徳山の「徳山博」さんから、管理人さんが、昨年5月5日、岡山の山奥のぼくの本籍地まで徳山姓の研究にお出かけいただいたと書いてありました。
直接、足を運んでいただいたということで、岡山の川上村の徳山家系は喜んでいると思います。ありがとうございました。
徳山博さんのうちは「本家」で、うちは「分家」といわれています。父の墓も希望どうり、父が自分で残したデザインでぼくが上徳山の般若寺に作りました。ですから今でもぼくは遠く離れた、檀家です。
感謝を込めて、ご報告まで。
ではまた。
[124] Re:[123] 20年が甦りました♪ 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/07/15(Sun) 21:45 |
サイトウヨウコ様、ようこそおいでくださいました。
徳山徹人さんのエッセイ本、「父さんは、足の短いミラネーゼ」をお読みになったのですね。徹人さんからは、このゲストブックの〔66〕にもコメントをいただいています。
徹人さんのサイトのURLを書いておきますね。今後ともよろしくお願い致します。
[123] 20年が甦りました♪ 投稿者:サイトウヨウコ 投稿日:2007/07/15(Sun) 17:19 |
初めまして、こんにちわ♪。お向かいの奥様からお借りしました。「足の短いミネラーゼ」旅行をしました殆どの場所が思い出されましたのと、徳山さんの感性にウンウンとうなずける事有りでした。我が家もシュナ7歳女の子がいまして、賢い勢いのいい犬ですね~可愛さ、可笑しさに負けています。こちら神戸須磨出身です瀬戸内海は穏やか~パーソナリティーについてうなずけます。もう一度読ませていただきます。御機嫌よう。
[122] Re:[121] 「徳」姓と「徳山」姓について 投稿者:徳山敦子 投稿日:2007/06/24(Sun) 22:58 |
管理人の徳山さま
「徳」姓と「徳山」姓の興味深いデータ、ありがとうございます。
家系調査、今度こそ一気に進めるつもりですので、何かわかったらまた、報告いたしますね。
[121] 「徳」姓と「徳山」姓について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/06/24(Sun) 12:02 |
[118]の徳山敦子様からいただいた貴重な情報に触発されて、「徳」姓について調べてみました。
「徳」姓は、平成12年3月の電話帳データによれば、全国に464世帯掲載されています。
鹿児島県に189世帯集中しており、その他も兵庫県54世帯、高知県50世帯、大阪府39世帯、神奈川県20世帯、東京都16世帯と固まって分布していますので、「徳」姓は鹿児島県発祥と見て間違いないでしょう。
しかも、さらに鹿児島県内を見ると、奄美大島と徳之島に集中していることがわかりました。
奄美大島には、名瀬市(平成12年当時、以下同じ)の37世帯、瀬戸内町の21世帯をはじめとして、喜界町を含めて合計92世帯。
徳之島には、徳之島町の22世帯をはじめとして、近隣諸島を含めて合計43世帯。
このほかには種子島に22世帯と鹿児島市に22世帯ありますが、奄美諸島からの移住が考えられます。
従って、「徳」姓は奄美諸島発祥と推定されます。特に、徳之島町では姓の多い順で15位に入っています。
(そんなことを言うまでもなく、「徳之島」という島の名前そのものが語っていますけどね)
さらに興味深いことは、鹿児島県内の「徳山」姓の分布が、「徳」姓の分布と非常によく似ている点です。
「徳山」姓も、徳之島に26世帯、奄美大島に25世帯、奄美諸島全体では56世帯掲載されており、ほかには鹿児島市の13世帯以外に集中しているところはありません。
「徳田」も鹿児島県内は同じ傾向を示していますが、「徳井」「徳一」「徳地」「徳江」などは県内も全国的にも全く違った分布です。
以上のことから推測ですが、
1)「徳」姓は奄美諸島(徳之島?)発祥と推定される。
2)「徳山」「徳田」姓は全国に分布し、出自が明らかな一族もあるが、奄美諸島の「徳山」および「徳田」姓は「徳」姓と関係する独自の成り立ちである可能性がある。
つまり、単に婚姻によって親戚になったのではなく、同じ一族の中で姓を分けた可能性も否定できないと思います。敦子様の家の除籍謄本に載っている「三和益」氏が同一人物なら、その経緯がわかるかもしれません。
また、徳之島の島名と、徳姓のどちらが古いのか興味があるところです。
以上、長くなりましたが、非常に興味深い課題をいただきました。今後のテーマとしたいと思います。
徳山敦子様ありがとうございました。今後の調査に期待しております。
[120] Re:[118] 2年振りの書き込みです 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/06/21(Thu) 23:03 |
徳山敦子様、お久しぶりです。ちょうど2年ぶりですね。書き込みありがとうございます。
> 実は柔道で有名な「徳三宝」と縁があるのかも?と思われる点があり、細かい話で恐縮ですが、書き込みさせていただきます。
すごい発見ですね。同じ徳之島の「徳」と「徳山」ですか。いかにも関係ありそう。そもそも、「徳之島」という名前そのものも不思議です。
調査結果をお伺いできるのを楽しみにしております。どんな些細なことでもお教えください。またそれを見て、情報が集まるかもしれませんから。よろしくお願いいたします。
[119] 追伸 投稿者:徳山敦子 投稿日:2007/06/18(Mon) 00:06 |
誤変換に気づかずにUPしてしまいました。(NO118中)
(恥ずかしい~)
お見苦しい点が数カ所ありますが、ご容赦くださいませ。
[118] 2年振りの書き込みです 投稿者:徳山敦子 投稿日:2007/06/17(Sun) 22:23 |
管理人の徳山さま
NO75に書き込みいたしました、奄美大島→東京の徳山です。ご無沙汰しております。
2年前にいろいろ情報提供をしていただき、ルーツ調査をしよう思ったにも関わらず、忙しさにかまけて2年間すっかり放置してしまいました。
最近、81才の父の脳力トレーニングのために、アルバム等をひっくり返しながら昔の話を聞きだしており、忘れていた事を思い出した次第なのです。(苦笑)
実は柔道で有名な「徳三宝」と縁があるのかも?と思われる点があり、細かい話で恐縮ですが、書き込みさせていただきます。(以前に父からかような話をきいた事はあるのですが、全く信用していませんでした。)
・遠い親戚らしい方のHPエッセイの中に「徳三宝(とくさんぽう)伯父」に加えて「徳三和益(とくみわえき)叔父」という名前が登場している。
・一方、我が徳山家の除籍謄本から
「徳山三和益」という人物が親戚である事が判明している。
・この「徳三和益」と「徳山三和益」は同一人物ではないか? 昔は「徳」性だったのが、何らかの理由で山をつけて「徳山」にしたのではないか? と推測した訳です。
・従姉にこの話をしたところ、祖母は徳三宝の子孫であることを確認する為に徳之島の誰かを訪ね、従姉はそれに同行したとのこと。ただ、祖母は他界していますし、従姉も子供の頃の事なので詳細は全く不明。
かような状況で、2年振りにルーツ調べ再燃しました。(笑)
徳三宝とどんな縁かは、遠い親戚らしい方からも情報収集ができると思いますので、それを含めて調べて始めます。
何かわかりましたら、また書き込みさせていただきます。
NO81の大坂の徳山さん、
そうですね。遠いと追い親戚かもしれませんね。
[117] Re:[116] 三重県の渡久山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/06/12(Tue) 21:46 |
渡久山かなえ様、ようこそおいでくださいました。
「人口・世帯数」のページに書きましたが、「渡久山」は沖縄の姓です。今帰仁村に渡久山の地名もあり、これが苗字の地と考えられます。
> そういえば・・渡久山のバス停は「徳山」になってました。
[77]の渡久山さんからの書き込みに、「今帰仁村にある渡久山は戦前は徳山だったと聞いています。いまだに地名として残っているところもあります。私の父が言うには戦後になって突然現在の渡久山になってしまったそうです。」という情報もあります。
うーん...。どういう経緯なのか、真実を知りたくてウズウズしますね。
いずれにせよ、ご縁があるようです。時々おいでください。お待ちしております。ご主人様にもよろしくお伝え下さいね。
[116] 三重県の渡久山です 投稿者:渡久山かなえ 投稿日:2007/06/11(Mon) 00:51 |
私の夫は今帰仁村の生まれです
何だか嬉しくなって投稿しました☆
そういえば・・渡久山のバス停は「徳山」になってました。
[115] Re:[114] 岡山県笠岡市に行って来ました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/05/12(Sat) 21:42 |
> 電話帳をみたら73件徳山さんが登録されていました
旧姓徳山様、重ねて書き込みありがとうございます。笠岡市の電話帳は、徳山さんがたくさん登録されていて壮観ですよね。笠岡市吉田の徳山さんの中にも、あまり多くはないのですが「丸に梅鉢」の家紋を使われる方があります。これからもいろいろ調べていきたいと思います。
[114] 岡山県笠岡市に行って来ました 投稿者:112 旧姓 徳山 投稿日:2007/05/11(Fri) 23:21 |
今日、用事があり笠岡へ行きました 時間の都合で吉田地区へは行けませんでしたが電話帳をみたら73件徳山さんが登録されていました また、旅行へ行ったら徳山さんを見つけたいとおもいます。
[113] Re:[112] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/05/06(Sun) 10:38 |
旧姓 徳山様、ようこそおいでくださいました。2年ほど前からおいでいただいている由。誠にありがとうございます。
こちらにおいでになった徳山さんは、皆さん、こんなに徳山姓の人がいたのかと驚かれます。確かに、周りにそんなにある姓ではありません。でも、約14,000人は、順位で言えば約1,250位。日本人の姓が10万種類とも、読みとか字体まで区別すると30万種類とも言われていることからすると、必ずしも奇名、珍名とはいえません。むしろ、先祖を調べていくためにはちょうど良い多さだと思います。しかも、調査の結果、かなりの方が同じルーツであることもわかってきました。
どうぞ、また時々おいでください。書き込みありがとうございました。
PS:ほかにも、2年ほど前からおいでいただいていて書き込みされていない方、書き込みのチャンスです(笑)。
[112] はじめまして 投稿者:旧姓徳山 投稿日:2007/05/02(Wed) 23:46 |
たまに徳山姓(渡久山姓)の方に会うと親近感が湧きうれしくなります 二年程前から寄らせていただいております 珍しい名字なので子どものころは、嫌でしたが結婚した時は徳山姓をそのまま名乗りたかったです このようなサイトを立ち上げてくださりありがとうございます
[111] 信濃の太郎という犬 投稿者:奈良間芳江 投稿日:2007/02/13(Tue) 11:26 |
眠狂四郎シリーズが週刊新潮に連載されていた頃のもので、どのあたりにあったかは分かりませんが、狂四郎が神社で太郎という犬と関わる話でした。子供の頃の夜物語に聞いていた幾つかの村の民話に狐と侍の話かあります。村人に悪さをする古狐が侍に化けてきたので、乗馬を勧め火を放って懲らしめたところ、「ケヤイズリソーザンボー、オーコワイコワイ。コノコトカナラズ、シナンオシッタンタロウニオシエテクレルナ」と言って逃げたので信濃へ行き太郎という犬を借りて狐を退治したという話です。徳山村と信州は父祖達の時代は山ひとつ越えた感覚で交流があったようです。民話は陰惨な感じのものもありますが、歌詞、語り方は軽い調子でリズムが良く、口伝えの素朴さがあります。侍、城、京土産、川、狐等、村の歴史がうかがえて想像力を刺激してくれます。
[110] Re:[109] 古い手まり歌について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/02/05(Mon) 22:48 |
奈良間芳江様、ようこそおいでくださいました。静岡県の駿河徳山ゆかりの方の書き込み、大歓迎です。
興味深いお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。徳山城の落城にまつわる歌が伝承されているのですね。また、「眠狂四郎」に出てくる犬の話も、徳山とつながっているのですか?どの巻にあるのでしょうか。
奈良間様、ありがとうございました。時々おいでくださいね。
[109] 古い手まり歌について 投稿者:奈良間芳江 投稿日:2007/02/05(Mon) 17:14 |
昭和25年頃までは志太郡徳山村堀の内という地名でした。徳山を生地とする祖母の口伝えに覚えたた歌「早朝に敵に攻められ城の侍たちが慌てふためいた」意の数え歌がありました。村の歴史に関係ありと思われる民話や柴田錬三郎の「眠狂四郎」に出てくる犬の話などどれも子供心に強烈な印象を残しています。
[108] Re:[107] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/01/13(Sat) 22:17 |
徳山麗子様、ようこそおいでくださいました。
徳山は徳川家の子孫!...良いですね。新説としてサイトに書いておきましょうか。信じてくださる方があるかもしれません。
でも、徳山と徳川と似ているので、この連想は多くの方がされるようで、時々、「関係あるのですか?」と聞かれることがあります。数年前、中国の方と仕事で会食をした時に、「私、日本の歴史を勉強しました。徳山さんというのは、日本の武士の由緒正しい家柄なのでしょう。確か将軍でしたか?」と聞かれたことがありました。私も特に否定はしませんでしたが...(笑)。
書き込みありがとうございました。よろしければ、時々おいでください。お父様にもよろしくお伝えください。
[107] はじめまして 投稿者:徳山 麗子 投稿日:2007/01/13(Sat) 16:52 |
埼玉県出身の徳山です。
私が小さい頃、よく父が家は徳川の子孫だ!っと
酔っ払いながら言っていました(恐らく嘘でしょうね)。
父によると江戸時代、徳川関係の医者をしていたと。
で時代が変わる中で、いつまでも徳川の姓だと命を狙われる可能性があると。で、川の下に一本線を引いて徳山になった。と。。。
これって、どうでしょうかね??
[106] Re:[105] 新年 おめでとうございます 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2007/01/04(Thu) 22:14 |
> 何気なく 立ち寄らせていただきました。
徳山皓紀様、ようこそおいでくださいました。
このサイトには、皆さん、何気なく立ち寄られます(笑)。何の面識もなく、ただ、苗字が同じだという共通点で。でも、苗字ってなかなか変えるものではありませんから、実は同じ一族の可能性は高いのです。何かのご縁ですね。時々いらしてください。
全国の徳山さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
[105] 新年 おめでとうございます 投稿者:徳山 皓紀 投稿日:2007/01/04(Thu) 17:42 |
北海道北斗市の徳山(35)です。(函館のとなり)
何気なく 立ち寄らせていただきました。こんなに同じ姓の方々がいらっしゃるのですねー ビックリです ちなみに父は北海道歌志内というところの出身らしいです。
今はもういませんが‥‥それでは 皆様にご多幸を‥‥!
[104] Re:[103] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/12/31(Sun) 22:11 |
> 御蔵島出身の徳山です。
徳山順一様、ようこそおいでくださいました。大晦日にお二人、書き込みをいただきました。ありがとうございました。
御蔵島ご出身の徳山さんは初めてです。本サイトの「徳山姓の市町村別分布」に書きましたとおり、御蔵島村は、市区町村別の徳山姓世帯数密度では日本一です。どういういわれがあるのか、私もかねがね興味を持っておりました。
言い伝えとか、ご家紋などからわかることもあるかと思います。今後、情報交換させてください。ゲストブックに書いてしまうことがはばかられるなら、メールでやりとりさせて頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。
[103] はじめまして 投稿者:徳山順一 投稿日:2006/12/31(Sun) 15:46 |
御蔵島出身の徳山です。御蔵島の徳山は電話帳では(2006年12月)現在6軒のっていますが、昔からの徳山は本家が5軒です。
この島は昔から28軒衆があり今でもその風習が残っており現在でも徳山は28軒の中の5軒です。御蔵島の徳山のルーツをもっと知りたいのですが、私の家のその内の1軒です。
[102] 無題 投稿者:徳山一郎 投稿日:2006/12/31(Sun) 10:08 |
(ノリヤマ)と呼ばれた事はな無かあつたですね。
あまり勉強して来なかつたので難しい事は解かりません。
ごめんなさい。
[101] Re:[100] 沖縄でのこと 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/12/29(Fri) 22:08 |
> のりやまと読ませることがあるのでしょうかね。
徳山勇様、返信が遅くなってしまいました。「のりやま」姓について調べていました。
「のりやま」と読ませる姓は、「法山」が59世帯と、「乗山」が17世帯、電話帳にありました。調べた限りでは、「徳山」と書いて「のりやま」と読むケースは見つかりませんでした。沖縄では徳山姓は珍しいのでわからなかったのでしょうかね。
[100] 沖縄でのこと 投稿者:徳山 勇 投稿日:2006/12/11(Mon) 17:10 |
10年も前のことですが、沖縄に行ったとき「徳(のり)山(やま)」様とホテルの人に呼ばれたのを思い出しました。
お土産にネーム入りプレートを頼んだらNORIYAMAとなっていました。今思い出しましたが、のりやまと読ませることがあるのでしょうかね。
[99] Re:[96] びっくり 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/12/09(Sat) 22:19 |
徳山一郎様、ようこそおいでくださいました。今日は1日にお二人、書き込みをいただきました。ありがとうございます。
沖縄には確かに徳山姓と渡久山姓があるんですよね。この二つの姓にはつながりはないのでしょうか?わかったことがありましたら、また教えてください。
今後、どうぞよろしくお願い致します。
[98] Re:[95] 父の死をきに 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/12/09(Sat) 22:15 |
徳山領一様、ようこそおいでくださいました。
越前の徳山氏については、徳山宗作氏の書かれた「徳山氏史伝」によってそのルーツがわかっています。国会図書館などで見ることが出来ます。福井藩士の資料なども利用されると良いかもしれません。徳山姓は神式が多いとは今までのところ聞いたことはありません。
除籍謄本など一般的な先祖調査については、専門サイト「ごさんべえのページ」をご覧になると良いと思います。
今後、どうぞよろしくお願い致します。
[97] 練習がてら 投稿者:徳山一郎 投稿日:2006/12/09(Sat) 19:09 |
キーボードの練習がてらのぞきたいと思います。はがわに、なってました。ごめんなさい。何か情報があったらお知らせします。
[96] びっくり 投稿者:徳山一郎 投稿日:2006/12/09(Sat) 18:53 |
わたしわ大阪に住む37歳の男です。田舎は沖縄で現在わ大阪に住んでます。沖縄でわ3文字の渡久山がいます。
[95] 父の死をきに 投稿者:徳山 領一 投稿日:2006/12/09(Sat) 15:53 |
父の死をきに少し先祖を調べて見ようと思いお墓に書いてあるところから見てみました。最初のお墓の人は明治の始めに亡くなった徳山 純(すみ)、そこに漢詩が書いてありその詩を持って全国を行脚、倉敷で客死した。そして越前の人とも書いてあります。
なお、我が家は神式です。徳山姓は神式は多いのですか?
除籍証明等を調べさかのぼって行って見ようと思っています。
[94] Re:[93] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/12/09(Sat) 11:49 |
徳山勇様、ようこそおいでくださいました。
徳島県には、電話帳に28世帯の徳山さんが掲載されています。藍住町の7世帯、徳島市の6世帯が多い方で、特に顕著に集中している地域はありません。
北海道も、札幌、小樽、函館、旭川、稚内、広尾、足寄などに合計75世帯が分布しています。
どうぞ、時々おいでください。お待ちしております。
[93] はじめまして 投稿者:徳山 勇 投稿日:2006/12/06(Wed) 13:33 |
四国は徳島の出身なのですが、今は札幌に住んでいます。
北海道でも何件かの徳山姓を電話帳で見かけましたが、
先祖は屯田兵としていろんな地域から来たのでしょうね。
偶然行き着いたホームページでしたが、お気に入りに登録して、じっくりと読ませていただきます。
[92] Re:[91] 法事 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/11/26(Sun) 18:31 |
小田原の徳山様、お久しぶりです。
その後も、興味を持ってお調べのようですね。こういう先祖調べというものは、なかなか急に進むものではありませんが、興味を持ち続けていると、法事や親戚からの情報などで少しずつわかってくるもののようです。
また、時々おいでください。お待ちしています。
[91] 法事 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2006/11/26(Sun) 14:50 |
本日、小田原の大久寺にて祖父の13回忌を行いました。
親戚一同集まり、先祖の話になったので思い出して覗いてみました。
減七郎照峯から先の子孫五代目くらいまでが資料不足みたいです。
たしか小田原に来た徳山で一番古い人は次外という人だったかと思います。
[90] Re:[89] はじめまして! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/10/14(Sat) 23:38 |
長野県の徳山様、ようこそおいでくださいました。
書き込みありがとうございました。
今後、どうぞよろしくお願い致します。
[89] はじめまして! 投稿者:長野県の徳山です 投稿日:2006/10/13(Fri) 19:01 |
私は飯田市に在住です。
鼎の法蔵寺が親父の実家です。
祖先のこと知っている方いましたらよろしく!
[88] Re:[87] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/06/17(Sat) 17:59 |
徳田様、ようこそおいでくださいました。「丸に抱き柏」のご縁ですね。
徳田姓は、多い順で484位。約42,600人と、徳山姓よりたくさんいらっしゃいます。能登国羽咋郡得田庄発祥とか。(「日本の苗字7000傑」より)
こんな書き込みも大歓迎です。ありがとうございました。
[87] はじめまして 投稿者:徳田 投稿日:2006/06/10(Sat) 22:02 |
「丸に抱き柏」で検索したところこのページにたどり着きました
我が家は「丸に抱き柏紋」なのですが、「徳」という共通点があるのが興味深く感じました
ありがとうございました
[86] Re:[85] はじめまして長野県の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/03/08(Wed) 22:45 |
> 何気に自分の名前を検索したらこのページにたどりつきました。自分は松本藩士の徳山氏のルーツであることがわかり興奮しています。
徳山岳志様、ようこそおいでくださいました。
こういうことがあるたびに、このサイトを運営していて良かったと思います。今年は[77]今帰仁村の渡久山様以来、書き込みが続いていて嬉しいです。福の神かも。
松本藩士の徳山氏の流れの方は初めてだと思います。「徳山一族の系譜」という本に載っていた略系図を転載しておいたのですが、お役に立てて幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
[85] はじめまして長野県の徳山です 投稿者:徳山岳志 投稿日:2006/03/08(Wed) 06:48 |
何気に自分の名前を検索したらこのページにたどりつきました。自分は松本藩士の徳山氏のルーツであることがわかり興奮しています。頼久、は僕のおじいさんで頼正、は僕のおじさん周司、はいとこになります。このページのことを親戚一同に紹介したいと思います。今後とも宜しくお願いします。
[84] Re:[83] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/03/04(Sat) 17:23 |
徳山昌之様、ようこそおいでくださいました。
尾道市、福山市、笠岡市の3市は最も徳山姓の多い三角地帯です。特に尾道市の徳山氏については、神功皇后にまつわる伝承を伝えている家などもあると聞いており、興味があります。
笠岡の徳山氏は、柏紋、酢漿草(かたばみ)紋を用いている家が多く、梅鉢紋、橘紋、木瓜紋を使う家もあります。尾道市の徳山氏には、酢漿草紋を使う家があると聞いたことがあります。こんな情報からもルーツが推測できるかもしれません。
何かわかりましたら、書き込みよろしくお願い致します。
また、よろしければ「管理人へのメール」からメールをいただければ、その後の情報交換が簡単です。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
[83] はじめまして 投稿者:徳山 昌之 投稿日:2006/03/04(Sat) 16:11 |
こんなページがあるんですね。
びっくりしました。
現在は、大阪にいますが広島県尾道市が父方の実家です。
尾道の徳山のルーツについてですが、二系統あるらしいことは、叔母から聞いたことがあります。又何かわかったら書き込みします。
[82] Re:[81] 大阪の徳山のルーツの一部は・・・ 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/02/18(Sat) 18:14 |
大阪の徳山様、ようこそおいでくださいました。
今年は毎月書き込みをいただき、感謝です。返信が遅くなりました。ごめんなさい。実は沖永良部の徳山さんについて調べておりました。
> 私の祖父は奄美諸島の沖永部出身で現在81歳。
沖永良部島には、平成12年3月の電話帳に、3世帯の徳山さんが掲載されています。知名町に3世帯あり、同じ島内の和泊町にはありません。(もちろん、電話帳に掲載されていない世帯のことはわかりませんが。)
お祖父様は知名町のご出身ですか?もし、電話帳の徳山さんの住所などお入り用でしたら、「管理人へのメール」からメールをいただければお送りします。
そちらでもおわかりになったことがありましたら、どんなことでも結構ですので、また書き込みをお願いします。ありがとうございました。
[81] 大阪の徳山のルーツの一部は・・・ 投稿者:大阪の徳山です 投稿日:2006/02/14(Tue) 16:29 |
はじめまして。
たまたまこのサイトを見つけました。
いや~ビックリです。
ゲストブックを見ていると、No75の「奄美大島の徳山さん」、この方はひょっとしたら遠い遠い親戚かもしれません。
私の祖父は奄美諸島の沖永部出身で現在81歳。
淡路島の洲本市に住んでいます。
管理人さんの言うとおり、奄美大島25世帯、徳之島26世帯なら私の(祖父の)親戚も十分含まれています。
私自体、いったことはありませんが。
祖父は戦時中に船乗りとして関西にやってきて終戦後も60年間関西に住んでいます。
祖父の兄弟も数名、同様に関西に移りすみ現在に至っております。
ということで、神戸・大阪地区にいる何世帯かは奄美諸島をルーツにしています。私の記憶では10世帯くらい。
また祖父に会った時に詳しく聞いてみます。
[80] Re:[79] はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/01/15(Sun) 16:57 |
徳山勝紀様、ようこそおいでくださいました。
北海道の徳山さんからの書き込みはお二人目でしょうか。新年2つ目のカキコ、重ねて感謝感激です。今後とも宜しくお願い致します。
>
> ホームページは閉めないで下さいね~
>
ご心配、励ましをいただきありがとうございます。書き込みがないと張り合いがなくて...。でも、こんな風に書いて頂くと調子が出てきます。早速、「徳山姓取材ノート」に「尾張藩士の徳山氏名簿」を書いちゃいました。現金なものですね。
おいでいただいた皆様、管理人に張り合いを与えてくださいませ。よろしくお願いいたします。
[79] はじめまして 投稿者:徳山 勝紀 投稿日:2006/01/15(Sun) 12:14 |
同じ姓の人に会う機会がほとんどないので興奮してしまいました^^
私は北海道に住んでいます。父は北海道の広尾町出身です。
北海道の礼文島にもたくさん徳山さんがいるらしいですが、
詳しいことはわかりません。
ホームページは閉めないで下さいね~
[78] Re[77]: 無題 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2006/01/07(Sat) 10:56 |
今帰仁村の渡久山様、ようこそおいでくださいました。
貴重な情報ありがとうございます!!私にとっては大ニュースです。年始早々、大きなお年玉をいただきました。
そうですか、元は徳山だったのですか。早速、「徳山地名事典」も書き換えましょう(そちらもご確認くださいね)。
そうなると、渡久山の姓はどこから来たのでしょうね。渡久山の地名が古くからあって、それを取ったと思っていたのですが...。何かわかりましたら、またお教えください。
追伸:それにつけても、暫く書き込みがなく、こんな調子なら閉じてしまおうかとまで思っていたところでしたので、渡久山様の書き込み、感謝感激でした。重ねてありがとうございました。
[77] 無題 投稿者:沖縄県今帰仁村の渡久山です 投稿日:2006/01/06(Fri) 21:27 |
はじめまして。今帰仁村の渡久山です。
今帰仁村にある渡久山は戦前は徳山だったと聞いています。
いまだに地名として残っているところもあります。
私の父が言うには戦後になって突然現在の渡久山になってしまったそうです。(戦後の混乱で役場が間違えた?なぜそうなったのかはわかりません)
少しはお役にたてたでしょうか?今帰仁村の文字があったのでテンションがあがってつい書き込みをしてしまいました。
また、なにかわかったらメールします。
[76] Re[75]: 奄美大島の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2005/07/18(Mon) 21:12 |
徳山敦子様、ようこそおいでくださいました。続くときは続くものですね。ありがたいことです。
鹿児島県の徳山氏は、奄美大島の25世帯と徳之島の26世帯(いずれも平成12年の電話帳記載分)が突出しており、ルーツが気になっております。お祖父様の除籍謄本を取ってみられたら、奄美大島のどこがルーツか調べられますよ。詳しくは、以下のURL(ごさんべえのページ)を参考にされるといいと思います。
大阪をルーツとする徳山氏は全く別の流れだと思いますよ。何かわかりましたら、また教えてください。今後ともどうぞよろしく。
[75] 奄美大島の徳山です 投稿者:徳山敦子 投稿日:2005/07/18(Mon) 16:09 |
はじめまして。徳山敦子と申します。
私自身は都内で生まれ、今も都内に住んでおりますが、もともとは両親とも奄美大島の出身です。(昭和28年に東京に出てきてから、もう東京の人になってますが。)
最近自分のルーツを調べてみたい・・・と思い始めたものの、どうしたらいいものやら。父の父、つまり祖父は早くに他界したので、父もよく知らないようですし、親戚で徳山姓はうちだけで、もう本当に何もわからないんですね。とりあえず、ネットで検索でもしてみるか、とこちらのサイトを見つけました。
全国にこんなに徳山さんがいるのですね。なんだか嬉しくなってしまいます。
大阪に徳山姓が多いとのこと。祖父は一時期、大阪に居たこともあったようなので、何か縁があったのかなあ、でも父も祖父も、思いっきり「南」の顔だしなあ、等と思いをめぐらせています。
また、寄らせていただきます。
[74] Re[73]: 愛媛の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2005/07/17(Sun) 18:38 |
徳山勝之様、ようこそおいでくださいました。ずいぶん長い間書き込みがないので、どうしようかと思っておりました(笑)。
愛媛県の徳山姓の分布を見ると、確かに大洲市周辺が密度が高くなっていますので、大洲藩の徳山氏が発祥と推測されます。平成12年の電話帳データには、大洲市に4世帯、喜多郡の内子町に6世帯、長浜町に6世帯、東宇和郡の野村町に6世帯、宇和町に3世帯の徳山さんがいらっしゃいます。他には、松山市に9世帯、新居浜市に4世帯あります。
なお、大洲の加藤氏は、美濃の加藤景泰を祖としていますから、その当時からの家臣だとすると、美濃の徳山氏の流れかもしれません。何かわかることがありましたら、ご教授ください。今後ともよろしくお願いいたします。
[73] 愛媛の徳山です 投稿者:徳山勝之 投稿日:2005/07/16(Sat) 18:25 |
全国の徳山さんを見て、同姓のよしみで自己紹介します。先祖は江戸時代、伊予大洲加藤藩に微禄で仕え、郷士として、小地主を兼ねておりました。明治以降は、教師などもしながら地主で生計を立てていましたが、戦後に没落し、私の代で医業に従事し、松山にいます。今でも何軒かの徳山さんが大洲に居られるようです。又よろしく交流ください。又投稿します。
[72] Re[71]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/10/26(Tue) 18:20 |
> ふらふらとネットの海を泳いでおりましたら自分と同じ姓の皆様が集まっていらっしゃるのに驚き、足跡を残させていただきました。
福井県の徳山様、ようこそおいでくださいました。
このサイトには、皆さん、「ふらふらと」いらっしゃいます。でも、そんな「ふらふら」も続くと、結構情報が集まってきます。福井県の徳山さん情報はわりと豊富ですよ。
これからは、時々おいでください。待ってます。
[71] はじめまして 投稿者:福井県の徳山 投稿日:2004/10/25(Mon) 13:39 |
管理人様、全国の徳山姓の皆様はじめまして。
福井県に住んでおります徳山です。
ふらふらとネットの海を泳いでおりましたら自分と同じ姓の皆様が集まっていらっしゃるのに驚き、足跡を残させていただきました。
私の家は曽祖父の代で福井に移り住んだのですが、それまで何をしていたかがよくわかっておりません。いちお、石川の白峰出身だと言う事はわかっているのですが。家紋も何も残っておりません。(現在の家紋は曾祖母の高藤家の家紋を使っております)これをきっかけに少しでも曽祖父について知ることができればいいなと思っております。また祖母をせっついて色々調べてみます。
ではでは、またお邪魔いたします。
だんだんと冷え込みが強くなってまいりましたので、皆様方ご自愛下さいね。
[70] Re[69]: 情報ください 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/08/08(Sun) 14:46 |
徳山篤様、お久しぶりです。ご先祖の調査も少し進んでいるようですね。
平成12年現在の電話帳データによれば、羽咋市に4軒、鹿島郡中島町に1軒、羽咋郡志賀町に6軒、羽咋郡富来町に4軒、七尾市に4軒、鳳至郡門前町に3軒、鳳至郡穴水町に1軒と、能登全体で23軒の徳山さんがいらっしゃいます。この中に、近いご親戚がいらっしゃるものと思われます。
「小田原の徳山さん」(No.62)に続いて、能登にご縁のある徳山さんからの書き込みが続きました。情報交換が進むといいですね。
[69] 情報ください 投稿者:宇都宮の徳山です 投稿日:2004/08/06(Fri) 18:40 |
宇都宮市の徳山篤です。
埼玉県の父の実家に行きまして先祖の位牌を見せていただいたところ能登国鹿島郡酒井村(現在の羽咋市酒井町)の出身であることがわかりました。
徳山七兵衛の二男でたぶん明治時代埼玉県の浄空院という曹洞宗のお寺の住職として派遣されたようです。
どなたか情報をお持ちの方は私に教えていただけませんか
[68] 「徳山さんのHPリンク」作りました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/08/01(Sun) 23:04 |
徳山徹人様の書き込みをきっかけに、「苗字関連のリンク」のページに、「全国の徳山さんのサイト」を追加しました。
いくつか徳山さんのサイトは見つけているのですが、勝手にリンクするわけにもいかず、とりあえず、徳山徹人様のサイトだけです。今後、気長に増やしていきますので、よろしくお願いします。リンクしていいサイトをお持ちの徳山さん、ご連絡くださいね。
[67] Re[66]: 仙台の徳山 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/07/22(Thu) 19:14 |
徳山徹人様、ようこそおいでくださいました。
HPも拝見しました。チェルト君のダニ事件は災難でしたね。そろそろ、「徳山さんのHPリンク」なんかも作らないといけないかなと思いました。
今後、よろしくお願いいたします。
[66] 仙台の徳山 投稿者:徳山徹人 (てつんど) 投稿日:2004/07/22(Thu) 11:22 |
本籍、岡山県川上村上徳山の徳山です。
東京、谷中生まれ。
東京、横浜が長かったのですが、昨年末、
仙台に越しました。エッセイ本、「父さんは、足の短いミラネーゼ」を出したり、語学ボランティア(英語・イタリア語)をしたり
しています。本業は「人間関係コンサルタント」です。偶然、このHPを見つけてうれしくなりました。
我が家のHPもどうぞご覧ください。今後ともよろしく。
[65] Re[64]: ありがとうございます 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/06/12(Sat) 14:48 |
> メールですが何回か試したのですがうまく送信できないので
「管理人へのメール」は、メールアドレスの記入を必須としております。そうしていただけると、送れるはずなのですが...。お手数をおかけしました。
今後、メールを通じて情報交換させてください。ありがとうございました。
[64] ありがとうございます 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2004/06/07(Mon) 22:05 |
情報ありがとうございます。メールですが何回か試したのですがうまく送信できないので再びこちらに投稿させていただきました。思い出しました、そうです、加賀が先祖と聞いたことがあります。近いうち石川県に行くかもしれないので暇があったら徳山探索してみます。
[63] Re[62]: けっこういますね 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/06/07(Mon) 19:50 |
小田原の徳山様、ようこそいらっしゃいました。
> 私の先祖はどうやら能登の方らしいです。源七郎照峰という人がわかる範囲で一番古い人で、末森合戦で討ち死にしたみたいです。
末森合戦には前田方で参戦しているのでしょうか?能登というと加賀の徳山氏との関係を伺わせます。興味ありますね。
>ちなみにウチに家紋は三つ扇ですが他の徳山さんはどんな家紋でしょう?
旗本徳山家が三つ扇の紋を使っています。五兵衛則秀が徳川家康から拝領したとのいわれがあります。土岐桔梗、剣酢漿草など、他にもいろいろな紋が使われています。もう少しデータが集まったら、徳山氏の家紋の紹介とアンケート調査のページを作ろうと思っているのですが...。
よろしければ、「管理人へのメール」からメールをいただけませんか?これから、どうぞよろしくお願いします。
[62] けっこういますね 投稿者:小田原の徳山 投稿日:2004/06/07(Mon) 04:00 |
私は小田原の徳山ですが、小田原には徳山が親戚以外には1件しかいません。こんなに全国にいるとは思いませんでした。
私の先祖はどうやら能登の方らしいです。源七郎照峰という人がわかる範囲で一番古い人で、末森合戦で討ち死にしたみたいです。私が小さい頃に口にくわえて遊んでいた巻物は天保三年の書物でした。内容は親戚が調べましたが忘れました。。。ちなみにウチに家紋は三つ扇ですが他の徳山さんはどんな家紋でしょう?
[61] Re[60]: こういったページがあってうれしいです。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/06/03(Thu) 00:10 |
徳山みゆき様、ようこそいらっしゃいました。
最近、書き込みをいただくことが続いていて、嬉しいです。偶然来てくださって、読んでくださる方はもっといらっしゃるのでしょうが、どんどん気軽に書いてくださるとさらに書きやすくなるのになあって思います。感謝です。
吉田の徳山さんについては、一度調べに行きました。まとまった時間がなくてウェブには書いていないのですが、家紋の違う大きく3つくらいのグループに分かれています。丸に抱き柏紋、丸に剣酢漿草紋、梅小鉢紋などが多いようです。江戸時代中頃にいくつかの家に分かれたなごりではないかと考えています。
少しずつ調べては書き足していきたいと思っております。気長におつきあいください。これからよろしくお願いします。
[60] こういったページがあってうれしいです。 投稿者:徳山みゆき 投稿日:2004/05/31(Mon) 22:19 |
うちは笠岡にお墓のある徳山です。笠岡の吉田と言うところには本当に徳山さんが多いですね。でも、親戚づきあいはないのでお墓参りにだけ行ってます。(家督相続をしたので)
以前にこのページに入った事はあったんですが、ただ読んで終わってました。でも、こういったページがあって嬉しいです。最近は山口県の徳山市もなくなって、寂しく思っていたので。
徳山のルーツで、土岐というのが出てくるので、岐阜とかに徳山さんがたくさんいるのかなって思ってたんですが、あまりいないし、岡山にこんなにたくさんいるのは何でなんですかね?
自分は韓国に何年間かいたんですが、徳山(トクサン)が何ヶ所かあるし。ルーツは韓国かなぁと思ってたところ、清和源氏も新羅からきてるみたいで…勉強になります。
楽しみにみさせてもらいます。是非頑張って下さい。
ちなみに、うちのお墓にあった家紋は梅小鉢で、もちろん家紋も梅小鉢といってもいっぱいあるし、ちょっとずつ違いはあると思うんですが、それで、梅小鉢は菅原道真から来てると聞いています。
まだ、若いので言葉遣いが悪くて申し訳ありません。
[59] Re[58]: 偶然見つけました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/05/25(Tue) 21:41 |
岡山の徳山様、ようこそおいでくださいました。
また、書き込みありがとうございました。こんな書き込みをいただくと、こちらも嬉しいです。よろしければ、「管理人へのメール」からメールをいただけませんか?どうぞよろしくお願いいたします。私も、高校の同級生に徳山君がいて、彼は在日韓国人でした。韓国には徳山という地名がたくさんあって、それを日本の名字にしたようです(詳しくは本サイトの「徳山姓のルーツ」をご覧ください)。
また、韓国に徳山さんがいらっしゃるという話は聞いたことがありません。韓国の姓は286種類しかなく(2000年11月の人口住宅総調査による)、そのうち、2文字姓は8つだけで、徳山は見あたりません。
またのお越しをお待ちしております!
[58] 偶然見つけました 投稿者:岡山の徳山です 投稿日:2004/05/25(Tue) 19:04 |
はじめまして^^
現在岡山に住んでいますが実家は大阪で父の出身は兵庫県淡路島です。徳山なんて名字珍しいと思っていたのですが、
ここに来てみて案外、たくさんあるんだなぁ~と感心しました。中学の時の同級生にも「徳山君」がいてたのですが
彼は韓国の方でした。韓国にも徳山さんがいるんでしょうか?
(不思議??)このサイトを見つけてちょっと嬉しくなりました!!
[57] Re[56]: 笠岡出身です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/05/22(Sat) 18:29 |
徳山@群馬様、ようこそおいでくださいました。
偶然見つけてくださった奥様に感謝です。ご存じの通り、吉田には電話帳記載だけで71世帯の徳山さんがいらっしゃいます。その中には、古い資料や口伝を伝えていらっしゃる家もあるようです。
何かわかったらお教えください。時々おいでください。
[56] 笠岡出身です 投稿者:徳山@群馬 投稿日:2004/05/21(Fri) 20:19 |
はじめまして
嫁が偶然に見つけて教えられました。
私は現在、群馬在住ですが、出身は笠岡市吉田になります。
成人前くらいまで住んでました(現在は両親が在住)
今度帰省したらば、親父にでも話を聞いてみたいと思います。以上
[55] Re[54]: こんなHPがあったんですね。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/04/10(Sat) 12:14 |
鳥取県大栄町の徳山様、ようこそおいで下さいました。
岐阜の徳山村までいらっしゃいましたか。同じようなことをされている方がいらっしゃるとは、愉快です。
鳥取県の徳山さんのルーツは興味があります。徳山の地名もありますから、そこを苗字の地とする独自の流れなのか、岡山県川上村の流れなのか、鳥取池田藩士の流れなのか。お宅は旧家のようですから、家紋やお墓など調べてみると手がかりがあるかもしれませんね。
これから、どうぞよろしくお願いいたします。
[54] こんなHPがあったんですね。 投稿者:鳥取県大栄町の徳山です 投稿日:2004/04/08(Thu) 12:25 |
私もルーツを知りたいと岐阜の徳山村を訪ね、賤ヶ岳の合戦の屏風絵を見、男の秘図も読みましたがよくわかりせんでした。うちの祖父の家が大栄町徳山の本家かもしれません。ご近所の徳山は同族ですし、町内の徳山は明治以降に別れた家のように聞いております。お墓には天保とか江戸時代の年号があったように思います。「殿様に山林の管理を任された??」って妖しい昔話も聞いたことがあります。みなさん徳山さんなので当たり前なんですが亡き父の同姓同名の方とかいらして久しぶりに会えたような気もします。
[53] Re[52]: 偶然みつけました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/02/19(Thu) 00:25 |
> お墓は福井にあります。
広島在住の徳山様、ようこそおいでくださいました。偶然大歓迎です(笑)。
福井の徳山さんは、結構メジャーな徳山さんですよ。手がかりもかなりありそうです。調べてみると、結構楽しめるかもしれません。
少しずつ調べていきますので、また見に来てください。
[52] 偶然みつけました 投稿者:広島在住の徳山です 投稿日:2004/02/19(Thu) 00:13 |
もともとは神戸に住んでました。
お墓は福井にあります。
さっぱりどこの出身か分かりませんが、
氏からつながりができていくなんて、アジアな感じでいいなぁと思いました。
また見に来ます。
[51] Re[50]: 吉田 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/02/15(Sun) 22:20 |
> 管理人へのメールから送ろうとしたのですが
> エラーになってしまいました。神奈川の徳山様、お手数をおかけしました。
「管理人へのメール」は、名前(ハンドルでも可)とメールアドレスが必須という設定になっております。これらを記入しないとエラーになってしまいます。
差し支えなければ、これらをご記入の上、メールをお送りいただけませんか?ウェブに載せていない情報を差し上げることができます。ご判断はお任せしますが、当サイトはバナー広告をはじめ、一切の商業主義とは無縁で運営しておりますので、ご心配はないと思います。
なお、もし、記入してもエラーになる場合はおっしゃってください。また、「ゲストブック」掲載の投稿は、お申し出いただければ削除も可能です。
よろしくお願いいたします。
[50] 吉田 投稿者:神奈川の徳山です 投稿日:2004/02/15(Sun) 17:16 |
管理人へのメールから送ろうとしたのですが
エラーになってしまいました。
こちらからメールします。
私は小さい頃に吉田に行ったことがあります。
祖父のお墓がそこにあったので。
今はこちらに移してしまったので行くことはなくなってしまいました。
確か徳山姓の家が何軒もあったのを覚えています。
[49] Re[48]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/02/13(Fri) 00:44 |
神奈川の徳山様、ようこそおいでくださいました。
吉田には、いらっしゃったことがありますか?旧山陽道から少しはずれた、のどかなところです。ここに400年間の先祖が眠っていると思うと、厳粛な気がしますよ。古い墓も残っています。いくつかの家系に分かれていて、本籍地や家紋でだいたいの家系(といっても元は同じなんですが)がわかります。
よろしければ、「管理人へのメール」からメールをいただけませんか。情報交換させてください。何も勧誘したりしませんから(笑)、ご心配なく。今後、どうぞよろしく。
[48] はじめまして 投稿者:神奈川の徳山です 投稿日:2004/02/12(Thu) 19:01 |
私は今神奈川県に住んでいます。
私の祖父は岡山県吉田の出身です。
こういうすばらしいホームページがあるなんて
感動してます。
[47] Re[46]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2004/01/02(Fri) 11:03 |
徳山篤様、ようこそおいで下さいました。
年末年始、すっかりおとそ気分で返信が遅くなりました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
[46] はじめまして 投稿者:徳山 篤 投稿日:2003/12/30(Tue) 17:50 |
栃木県宇都宮市に住む徳山です。
私の父が埼玉県東松山市出身で仕事の都合で栃木県に移り住み私は栃木県で生まれました。
詳しくはわかりませんが私の祖父が養子となり石川姓から徳山姓を名乗るようになったようです。
これからもこのHPを楽しみにしています。
[45] Re[44]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/12/27(Sat) 18:53 |
徳山勝也様、ようこそおいで下さいました。
美濃国徳山につながる徳山さんも多くいらっしゃるようで、今後、お教えを賜ればと思います。
いろいろと情報交換などさせていただければ幸甚に存じます。よろしければ、「管理人へのメール」からメールを頂戴できませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
[44] はじめまして 投稿者:徳山 勝也 投稿日:2003/12/27(Sat) 12:52 |
私、江戸徳之山の子孫です。
徳之山五兵衛則秀から17代目に当たる者です。
この「徳山ネットワーク」を拝見し、胸躍る思いで一杯です。
現在、江戸徳之山の一族は亡父の兄一族と、私の兄弟4名の一族のみしか判明しておりません。岐阜の徳ノ山へも何回か訪問し、大歓迎も受けました。
又毎年5月の第3日曜日には、墨田区本所石原町に現存する徳之山稲荷神社の大祭にご招待を受け、もう何十年もお祝いに伺っております。又、墨田区森下町の長慶寺には祖父を始め、叔父、叔母等、ほとんどの者の墓所になっています。
又、本年7月5日各務原市の「旗本 徳山陣屋公園」の竣工式に招かれ、市長を始め地元の方の大歓迎を受けました。
すばらしい公園です。一度いらしてください。
いろいろ資料もございますし、又祖父等からも面白い話も聞いております。これからちょくちょく投稿させていただきます。
ちなみに私共の家紋は「丸頭合わせ三つ地紋」又、裏紋として土岐氏の「桔梗」の紋が使われておりました。
[43] Re[42]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/12/07(Sun) 18:57 |
徳山富美男様、ようこそおいでくださいました。
「徳山」などで検索された方が偶然いらっしゃるのを待っている、こだわりサイトです(笑)。
少しずつですが、このWebを通じてネットワークが広がって、その情報交換を通じて、いろいろなことがわかって来ています。ご存じのことなどありましたら、「管理人へのメール」でお教えいただくと幸甚です。
時々おいでください。どうぞよろしく。
[42] はじめまして 投稿者:徳山 富美男 投稿日:2003/12/07(Sun) 13:21 |
はじめまして石川県の徳山富美男です。こんなネットワークがあるとはビックリです
[41] Re[40]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/11/13(Thu) 23:56 |
徳山村住人様、ようこそおいでくださいました。
webも楽しく拝見させていただきました。そちらへも時々伺いますのでよろしくお願いします。
また、徳山村のことなどお聞かせください。これからもよろしく。
[40] はじめまして 投稿者:徳山村住人 投稿日:2003/11/10(Mon) 23:10 |
私は岐阜県揖斐郡藤橋村徳山(旧徳山村)の出身です。子供の頃、徳山村本郷の徳山城址にはよく登った記憶があります。
徳山村では男子が16歳になると古式にのっとり元服式が行われていました。
徳山城主は、徳山五兵衛で関ヶ原合戦で徳川家康の伝令を勤め、その功績で幕臣旗本として江戸に行ったと聞いていました。が、偶然このページを見つけ、そうではないことがよくわかりました。
徳山村は揖斐川の上流にあり徳山村で東谷(越前方面)と西谷(近江方面)に別れ、東谷に沿った部落は越前との交流が深く、西谷に沿った部落は近江との交流が深い地域です。
このページを読んで、それがなぜかという疑問が解決しました。
今ではダム工事も着々と進み、徳山城址のあった山も今ではその面影さえありません。
[39] Re[38]: 加賀の徳山の末裔です。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/11/08(Sat) 21:07 |
徳山達雄様、ようこそおいでくださいました。
こうしてご縁がつながるのも、インターネットのおかげです。
加賀の徳山氏についてもさらに調べてみたいと思っております。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
[38] 加賀の徳山の末裔です。 投稿者:徳山 達雄 投稿日:2003/11/05(Wed) 14:49 |
始めまして、加賀の徳山の末裔で、系図の最後に記載の宰次郎は小生の親父で、浩太郎は実兄(他界しました)です。
親父(宰次郎)は開業医で、亡くなる前日まで、診察をしておりました。(92歳)
小生現在馬齢を重ね75歳ですが先祖から受けついたDNAのお陰で、弦楽アンサンブル、油絵、など人生を楽しんでいます。今後とも宜しく。
[37] Re[36]: 松尾神社社家の徳山氏 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/10/19(Sun) 20:44 |
> 駿河の旅では大変お世話になりました。
大島様、ご無沙汰です。
こちらこそ、駿河の旅ではお世話になりました。当サイトの「徳山姓の研究」-「徳山姓取材ノート」に、「静岡県徳山調査」をやっと書き終えましたよ。ご覧ください。> これは地名でしょうか?
地名でなく、徳山という氏があるようです。「松尾神社社家系図」にも、東神主の系図にもでているという記述を読みました。そういうわけで、「徳山姓のルーツ」9.に「松尾神社社家の徳山氏」というコーナーだけは準備しているのですが、まだ調べたことがなくて、書けていません。
ご存じの方がありましたら、どうぞお教えください。(「管理人へのメール」からでも結構です。)よろしくお願いします。大島さん、ありがとうございました。
[36] 松尾神社社家の徳山氏 投稿者:大島 投稿日:2003/10/19(Sun) 19:40 |
管理人の徳山様
駿河の旅では大変お世話になりました。
ご存知かもしれませんが、松尾社家東神主系図では徳山秦忌寸都理の名前が出てくるそうで、既に徳山の語を冠しているのは興味深いですね。これは地名でしょうか?
[35] Re[34]: はじめましてm(_ _)m 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/10/12(Sun) 19:45 |
愛知県の徳山様、ようこそ、偶然おいでいただきました。(笑)
以前、やはり在日韓国人の方がこのホームページをご覧になって、メールをくださったことがありました。お祖父様が住んでおられた韓国の地名か何かから命名したと聞いているそうです。
またおいでください。
[34] はじめましてm(_ _)m 投稿者:愛知県の徳山 投稿日:2003/10/11(Sat) 22:31 |
私は在日韓国人です。通称名が徳山です。姓の事を検索していて私もほかの方達同様偶然みつけました。全国にこんなに徳山さんがいるなんてびっくりしてます。と同時にとてもうれしくなりました。これから時々お邪魔したいとおもいます。(*^_^*)/~
[33] Re[32]: こんにちわー 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/09/16(Tue) 18:48 |
徳山里美様、偶然のお越し歓迎です(笑)。
熊本の徳山さんは、玉名郡に集中しているんですよね。九州にも徳山さんはたくさんいらっしゃるんですが、詳しいルーツはこれから調べていきたいと思っています。
またおいでください。
[32] こんにちわー 投稿者:徳山里美 投稿日:2003/09/16(Tue) 01:02 |
偶然来ました(笑)面白い場所ですね。私の一家は大阪在住ですが、両親の出身は熊本阿蘇の山奥です。いろいろ資料があって、なんとなくルーツがわかった気がします。またたまにのぞいてみたいと思います。でわでわ。
[31] Re[30]: 徳山氏陣屋址 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/06/29(Sun) 15:03 |
> 各務原市西市場町(旧更木郷)に徳山氏陣屋址が整備されており、まもなく完成のようです。
沢源さん、情報ありがとうございます。
そうですか。更木の陣屋跡が整備されるのですね。知りませんでした。
更木陣屋は、当サイト「徳山姓のルーツ」の「3.江戸の幕臣徳山氏」に出てくる徳山五兵衛則秀が、徳川家康から美濃徳山と更木に5千石の領地を賜り、更木に置いた代官所です。整備されるとなると、一度行かなくてはなりませんね。貴重な情報ありがとうございました。
[30] 徳山氏陣屋址 投稿者:沢源 投稿日:2003/06/28(Sat) 21:40 |
各務原市西市場町(旧更木郷)に徳山氏陣屋址が整備されており、まもなく完成のようです。実は、本日室町幕府美濃守護第8代土岐成頼の三男土岐佐良木尚頼の関連史跡を見に行ってきた所です。中世に活躍した佐良木氏の所へ旗本徳山氏ですので、ヤッパリ美濃は面白いですよ。こうたろうくんと機会がありましたら、岐阜県博物館にて「美濃源氏土岐一族の世界-土岐氏の歴史と文化」展示を行なっておりますので、ヨロシク!!。
[29] Re[28]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/06/11(Wed) 21:57 |
> こんにちは。私も偶然このページを発見しました。
北海道の徳山さん、いらっしゃいませ。このサイトには、皆さんだいたい、偶然いらっしゃいます(笑)。
〔24〕で達也さんがいらっしゃってから、お客様が増えました。福の神かも。どうぞ、ちょくちょくおいでくださいませ。
[28] はじめまして 投稿者:北海道の徳山 投稿日:2003/06/10(Tue) 18:34 |
こんにちは。私も偶然このページを発見しました。
徳山は私の周りには徳山姓はほとんどいないので、こんなページがあり少しびっくりです。おかげで徳山姓に興味が出てきました。ちょくちょくよらせていただければと思います。
それでは・・・
[27] Re[26]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/06/01(Sun) 13:27 |
徳山和宏様、ようこそ。
川上村をルーツとする徳山氏としては、このゲストブックのNo.19 に書き込みいただいた周一様に次いでお二人目です。
でも、本籍って大事ですね。私の本籍は岡山県笠岡市ですが、父の代に離れました。子供たちは笠岡に行ったこともありませんから、本籍を変えてしまうと孫の代にはルーツがわからなくなりそうで、本籍はそのまま変えないでいます。
またのお越しを楽しみにしております。
[26] はじめまして 投稿者:徳山 和宏 投稿日:2003/06/01(Sun) 12:19 |
岡山県真庭郡川上村が本籍の徳山です。
初めて自分の苗字について検索したところ、このサイトを
発見しました。地元の僕も全くルーツを知らなかったので
大変興味深かったです。
祖父が養子縁組をしてから徳山姓に変わったと聞きます。
それが無ければ中村という苗字になっていたそうです。
書き込みしに来ますね。
[25] Re[24]: はじめまして 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/05/26(Mon) 23:47 |
達也さん、いらっしゃいませ。
ずいぶん久方ぶりのお客様です。(^_^;)昨年の9-11月頃はこれでも結構(パラパラ?)書き込みがあったんですけど、年明けにすごい専門的なやりとりをしたので、その後いらっしゃった方が引いちゃってるのかナ...なんて、心配してました。
専門的な情報交換ももちろん大歓迎ですし、達也さんの「なんかうれしいです」なんて軽いノリもいいですねー。
小豆島も調べて、またメールしますね。これからも軽いノリでよろしく~。
[24] はじめまして 投稿者:達也 投稿日:2003/05/26(Mon) 22:03 |
現在兵庫県に住んでいる徳山です。
冗談で探してみたら偶然このHPを発見しました。
なんかうれしいです。(まわりに徳山姓の人がいなかったもので)
両親が小豆島です。小豆島の徳山は何が由来なんでしょう~。
又来ます。
[23] 岡山の徳山氏について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/03/02(Sun) 22:59 |
皆様には、ゲストブックにおいでいただきありがとうございます。
さて、「徳山姓のルーツ」に関して、従来、美濃国の徳山氏関係を中心に調査結果を載せておりましたが、岡山県の徳山氏関係の研究も少し進みましたので、2月1日に「6.美作国の徳山氏」、そして本日、「7.岡山県笠岡市の徳山氏」をアップしました。
いずれも、まだほんのさわりです。今年は岡山県関係を少し充実させたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
また、引き続き、他の地域についても研究していきます。ゲストブックに来られた方、一言お書きいただくとハッピーです。よろしく!
[22] Re[21]: 徳山家の茶人について教えて下さい 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2003/01/26(Sun) 17:42 |
永田様、ようこそ。徳山姓の方でなくても、もちろん、歓迎です。
さて、徳山姓の者で江戸時代に奉行を勤めたとすると、当サイトの「江戸の幕臣徳山氏」でご紹介した徳山家でしょうか。私の知る限りでは、2代直政、3代重政、4代重俊、5代重舊、7代頼意、10代秀起、12代秀堅は何らかの奉行職に就いています。
ただ、系図を見る限りでは、茶人としての号は記されておりません。また、連想ですが、江戸中期に、芸術分野と関わりのある徳山氏があります。それは、江戸中期の画家、池大雅の妻で、本人も女流画家として知られる玉瀾(ぎょくらん)女史という人がありますが、この人の旧姓が徳山(名は「お町」、母は百合、祖母は梶)なのです。Yahooなどで「玉瀾」で検索すると出てきます。
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/item/J_243_901_J.htmlそして、彼女が徳山奉行の子供であるという話があります。池波正太郎の小説に「秘図」というのがあり、新潮文庫「賊将」に収録されています。(私のサイトの「徳山関連事典」に記しています)この309ページに、池波正太郎は、「玉瀾女史は、(中略)旗本徳山五兵衛と祇園社茶店の女主人お百合との間に生まれた、お町その人である。」と書いています。
ここで出てくる旗本徳山五兵衛は、5代重舊のことです。彼は秀栄(ひでいえ)ともいい、池波正太郎のお気に入りです。お町が本当に徳山奉行の子供なのか、小説家の創作なのか、確認しておりません。
ちょっと連想が飛躍しすぎたかもしれません。いずれにせよ、今後心がけて調べてみます。ご存じの方があれば情報をお寄せください。
[21] 徳山家の茶人について教えて下さい 投稿者:nobuya nagata 投稿日:2003/01/25(Sat) 19:22 |
初めまして、永田と申します。
管理人の徳山様のお薦めにより、厚かましく徳山さんのゲストブックに投稿させて頂きます。
私は今、江戸時代中頃以前の徳山姓の方で、胡〇斎の号(〇の個所は判読不明)を名乗った茶人を捜しています。
そもそも当件に関して調べ様と思ったのは、私の家に有る茶杓が事の発端です。
その茶杓には筒、内箱、外箱、書き付けが付いていて、筒には表に、銘”お多賀”と裏に胡〇斎と書いて有り、内箱蓋表に銘”御多賀”、蓋裏に茶道久田流四代の不及斎(江戸中頃)の極め書き、そして外箱蓋表に銘お多賀と筒書き ”徳山奉行”と書いています。最後に江戸後期の有名な古筆鑑定家”古昔庵”(大倉好斎)の極め書きが付いて、そこには”筒書き胡〇斎 徳山奉行 箱書き不及斎と書いて有ります。※徳山奉行銘は徳山なにがしと名乗る御
奉行がおられたのではないかと思います。以上の事からこの茶杓の持ち主で有った、胡〇斎とはいかなる茶人で有ったかを調べ様と思いインターネットでたまたま貴ホームページを見つけ、なにかの糸口になると考えメールを送らせて頂いたのです。
突然の事でどうも申しわけ有りませんでした。
また何か参考になるような情報が見つかったら、お知らせ頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
[20] Re[19]: 上徳山の徳山です 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/11/28(Thu) 22:06 |
徳山周一様、ようこそおいでくださいました。
おいでをお待ちしておりました。といいますのも、川上村の徳山氏は650年にわたる歴史があり、系図や5,000点近くの古文書も残っているという、かなり出自のわかるグループで、いろいろお教えいただきたいと思っていたからです。
今後、どうぞよろしくお願いいたします。
[19] 上徳山の徳山です 投稿者:徳山周一 投稿日:2002/11/27(Wed) 20:24 |
初めまして。岡山県真庭郡川上村上徳山に住んでいる徳山です。
叔父の鐵也から貴ホームページのことを知りました。
大変興味ある内容でした。
莫大なデータをわかりやすく整理されており感心しました。
さぞ,大変だったことだと思います。
全国の徳山姓の者にとって大変有り難いことです。
日頃は,自分のルーツなど余り興味がなかったのですが,
自分のルーツになんだかロマンを感じてきました。
これからも,貴HPがますます発展されることをお祈りしております;
[18] Re[17]: 初めまして! 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/11/23(Sat) 21:21 |
徳山伸良様、ようこそ!
鳥取県は電話帳掲載データで徳山さんは53世帯。密度では全国第3位ですし、地名も確認されていますから、きっと由来があるはずです。実際、徳山姓に限らず、ある地域に同姓の方がまとまって分布している場合、数十キロ程度の近隣に(不思議にその場所ズバリではなくて)苗字の地がある場合が多いのです。
今後、鳥取についても調べて参ります。ちょくちょくおいでください。(「管理人へのメール」からメールをいただけると有り難く存じます)
なお、鳥取県の徳山姓分布(H12年電話帳データ)は、大栄町18、鳥取市12、佐治村8、倉吉市7、以下8市町が各1(境港市、日野町、淀江町、関金町、東伯町、北条町、羽合町、岩美町)となっています。
[17] 初めまして! 投稿者:徳山伸良 投稿日:2002/11/22(Fri) 18:27 |
鳥取市に住む徳山伸良と言います。
偶然このHPを見つけてしまいました。
全国の徳山さんにも興味が出て来ましたので
書き込みしときます。
ちょくちょく顔を出しますのでよろしくお願いします
[16] Re[15]: お久しぶりです 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/11/20(Wed) 23:22 |
徳山ちえみ様、お久しぶりです。9月以来ですね。時々のぞいてくださっているようで、ありがとうございます。
笠岡市吉田の徳山氏について、もう一つわかったことがあります。研究家の方から教えていただいたのですが、
「井原市下稲木町兼保の妹尾家の系図に、『五郎四郎本義天和二年八月十二日生寛延三年十一月十五日歿年六十五慈雲院湛然常寂居士 室吉田村徳山昌長娘享保六年来嫁寛政元年七月廿八日歿年九十真如院頓阿妙同大姉』というのがありました。」との事でした。
このことから、
1)享保6年といいますから、西暦1721年頃に、吉田村に徳山昌長という徳山姓を持った人がいたこと。
2)その娘は井原の妹尾家に嫁いだこと。
3)このころから吉田の徳山氏は長生きであること(笑)。
などがわかります。妹尾家の家格や戒名などを分析すれば、さらにいろいろなことがわかるのかもしれません。また時々のぞいてみてください。笠岡市吉田の徳山氏も近々調べてみるつもりです。
[15] お久しぶりです 投稿者:徳山ちえみ 投稿日:2002/11/19(Tue) 18:24 |
笠岡市出身の徳山です。
久しぶりに見ましたら、全国から反響があり、時間の流れを感じました。徳山姓に興味を持っている人も全国にいること、反響があることもうれしいですね。
両親のページも更新され、私も旅行した気分にさせていただきました。
管理人の徳山さん、いろいらな情報をありがとうございました。
[14] Re[13]: こんなにいらっしゃるとはビックリです。 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/11/06(Wed) 23:14 |
徳山勉様、ありがとうございました。
「徳山姓のルーツ」で書きましたとおり、江戸、石川、福井、岡山などの徳山氏についてはだいぶ情報が集まってきました。あと、広島、九州、沖縄にも徳山さんはたくさんいらっしゃるのですが、まだ手がかりがありません。
また、「徳山地名事典」で書きましたとおり、宮崎県には串間市奈留に小字で徳山という地名があります。何も情報が得られないので、「苗字とは無関係」としましたが、正確に言うと「関係ありとする情報なし」なのです。ひょっとして、宮崎市の徳山氏と関係があるかもしれません。
宮崎の徳山氏について、今後、情報交換をさせてください。
[13] こんなにいらっしゃるとはビックリです。 投稿者:徳山勉 投稿日:2002/11/06(Wed) 09:08 |
はじめまして、徳山勉と申します。
いや~全国に14,000もの「徳山」さんがいらっしゃるとは、大変ビックリしました。
私は、宮崎県宮崎市大字 糸原(いとはる)出身で、現在は千葉県の浦安に住んでいます。私自身「徳山」という性に興味があり、昔子供の頃電話帳で「徳山」を検索してみましたが私の田舎では、私の親戚の5~6軒と、関係ない方が1軒あった程度です。
それが、全国にこんなにいらっしゃることを教えて頂きました。
管理人の徳山さんありがとうございました。
恐らく私の家系の先祖代々を探っていくには無理があるかもしれませんが、今後ともこのページの益々の発展を期待しております。
[12] SP盤徳山さんの歌 投稿者:高橋 正良 投稿日:2002/10/18(Fri) 15:57 |
徳山 璉さんの歌を検索してみました。
1931 昭和6 2 侍ニッポン 徳山 璉・藤本二三吉 西条八十 松平信博 ビクター
1931 昭和6 3 かんかん虫は歌う 徳山 璉 長田幹彦 松平信博 ビクター
1931 昭和6 8 ルンペン節 徳山 璉 柳 水巴 松平信博 ビクター
1932 昭和7 2 満州行進曲 徳山 璉 大江素天 堀内敬三 ビクター
1932 昭和7 2 夜の酒場に 徳山 璉 西条八十 松平信博 ビクター
1932 昭和7 5 天国に結ぶ恋 徳山 璉・四家文子 柳 水巴 林 純平 ビクター
1935 昭和10 10 悲しきジンタ 徳山 璉 佐伯孝夫 佐々木俊一 ビクター
1937 昭和12 5 還らぬ戦友 徳山 璉 島田芳文 深海善次 ビクター
1937 昭和12 7 涙の幌馬車 徳山 璉 若杉雄三郎 高木静夫 ビクター
1937 昭和12 9 銀翼燦たり 徳山 璉・四家文子 土岐善麿 中山晋平 ビクター
1939 昭和14 5 太平洋行進曲 徳山 璉・波岡惣一郎 横山正徳 布施 元 ビクター
1940 昭和15 1 空の勇士 徳山 璉・藤山一朗 大槻一郎 蔵野今春 ビクター・コロムビア
1940 昭和15 10 隣組 徳山 璉 岡本一平 飯田信夫 ビクター
1941 昭和16 4 戦陣訓の歌 徳山 璉 梅木三郎 須磨洋朔 ビクター
1941 昭和16 5 歩くうた 徳山 璉 高村光太郎 飯田信夫 NHK
[11] Re[10]: 山形県の徳山氏 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/10/14(Mon) 21:40 |
徳山幸一郎様、書き込みありがとうございます。
昭和53年に日本系譜出版会というところが出した「徳山一族の系譜」という本があります。これによると、酢漿草(かたばみ)紋について、「中国地方の徳山氏にこの紋が多く分布している。酢漿草、剣酢漿草、丸に剣酢漿草、二重亀甲に剣酢漿草等が使用例としてある。(中略)この紋を伝える徳山氏は美作徳山氏と関係あるか。」と書かれています。
ひょっとすると貴兄のルーツは中国地方につながるかもしれませんね。ただ、山形県もかたばみ紋はかなり使われていますから影響を受けている可能性もあり、そのあたりの吟味も必要になるでしょう。
少し資料を集めたら、「徳山氏の家紋」コーナーも作ってみたいと思います。ありがとうございました。
[10] 山形県の徳山氏 投稿者:徳山幸一郎 投稿日:2002/10/14(Mon) 15:27 |
早速のご調査ご連絡ありがとうございます。
当家の家紋は、「かたばみ」です。
それにしても徳山姓が西日本に多いとのご調査は驚きでした。
祖父・祖母は山形出身ですが、すでに山形に交流のある親戚はないし、ただ単に自分のルーツだけを探るよりも、徳山姓全体の研究の方が興味深く、広がりがあり、貴重であると思いました。貴重なご研究を是非深めて頂きたいと思います。
[9] Re[8]: 徳山さんの歌声 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/10/13(Sun) 21:14 |
高橋様、ありがとうございました。
歌は知っていましたが、そういう歌手は知りませんでした。そのうち、「徳山歴史人名事典」も作りますか。
[8] 徳山さんの歌声 投稿者:高橋 正良 投稿日:2002/10/11(Fri) 17:55 |
「徳山」さんの姓で入り込みました。
こちらのコーナーはじめまして。
珍種のディスクジョッキー高橋です。にいがた寺町からの会や堀割再生物語プロジェクト実行委員会などでまちづくりに首を突っ込んでいます。
そんな会で時々蓄音機を持参しSP専門の皿回しをやり、女性(といっても七十才以上の)を泣かせています。
昭和の流行歌手・徳山璉さんの歌声が聞けるホームページがあります。
http://www.eniwa.co.jp/78rpm/
http://www.hmv.co.jp/Product/Detail.asp?sku=670358
ぜひご覧になってみては徳山さん。
[7] Re[6]: 山形県の徳山氏について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/10/08(Tue) 01:40 |
徳山幸一郎様、ありがとうございました。
さて、お尋ねの山形県の徳山氏ですが、サイトにも書きましたとおり、平成12年3月時点のハローページデータによれば、山形県には徳山姓はたった1軒だけしか掲載されていません。しかも新庄ではなく酒田市南新町の方です。(この時点のハローページには徳山さんは3,183世帯掲載されています。推定では徳山姓の世帯は約5,000世帯ですから、60%はカバーされているはずです。)残念ながら今のところそれ以上の情報はありません。
ちょっと偶然ですが、1716年に徳山藩が改易、領地召し上げとなった際、藩主毛利元次は出羽新庄藩戸沢家へお預けとなっています。ただ、徳山藩は地名でありますので徳山氏とは関係ないのですが。
さらに2-3代でも先祖をたどれないかとか、家紋は何か、などの手がかりがあればもう少し糸がつながるかもしれません。山形県の徳山氏情報についても気にかけておきたいと思います。ありがとうございました。
[6] 山形県の徳山氏について 投稿者:徳山幸一郎 投稿日:2002/10/08(Tue) 00:08 |
徳山幸一郎です。祖父と祖母が山形県の新庄の出身で、山形県の情報があると、うれしいのですが。
[5] 笠岡の徳山氏について 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/09/16(Mon) 16:16 |
徳山ちえみ様、ありがとうございました。岡山県笠岡市の徳山氏については、研究家の方からこんなメールをいただきました。
「備中村鑑という江戸時代末期ころの備中国内の領主別村別石高に村役人を記した一覧表があります。この中に、
『〇一橋殿御賄料御陣屋西江原 御代官 井口善兵衛様
・・・
千百三十二石一斗五升八合 吉田村 石田俊蔵
西山武市
藤井惣右衛門
徳山吉右衛門 ・・・』
と、徳山姓の人がみられます。」現在の笠岡市吉田にも、石田、西山、藤井、徳山の姓はかなりありますよね。江戸時代以前からこれらの苗字はあったようです。特に、吉田の石田氏は石田三成の子、八郎の子孫と伝えています。
こんな情報や資料を重ね合わせると、いろんな事がわかってきそうです。笠岡の徳山氏についてはいずれきちんと調べてみたいと思っています。書き込みありがとうございました。
[4] 興味深く読ませていただきました 投稿者:徳山ちえみ 投稿日:2002/09/04(Wed) 17:36 |
私も徳山です。岡山県笠岡市生まれです。
自分のルーツなど考えていませんでしたが、興味を持ちました。
現在、岡山に住んでいます。自己紹介の時、特に中国地方の方は岡山の徳山ですというと、(山口の徳山では?と思われるらしく)皆さん覚えて下さっていました。でも、ここでの情報では、山口県の徳山市がなくなるということで、残念に思いました。
今後の更新で新たな情報を期待しています。
[3] Re[2]: お教えありがとうございました 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/09/03(Tue) 22:13 |
どういたしまして。お安いご用です。
当方には全国の電話帳掲載分 3,183世帯の徳山さんデータがあります。例えば、子供に「徳山○×夫」なんて名前を付けたいのだけれど、ありふれた名前かどうか、同姓同名はいるかどうか、といったことも調べられます。
このゲストブックをご覧になった方も、ご遠慮なくお申し付けください。
[2] お教えありがとうございました 投稿者:徳山一郎 投稿日:2002/08/27(Tue) 23:22 |
徳山一郎と申します。
メールをお出ししたところ、いろいろ教えていただきありがとうございました。
徳山一郎というのは、きっと他にもいるだろうなと思ってはいましたが、電話帳掲載だけで16人もいるとは思いませんでした。
徳山姓の研究のパワーアップを期待しています。また教えてください。
[1] ゲストブック公開します 投稿者:管理人の徳山です 投稿日:2002/08/17(Sat) 10:55 |
管理人の徳山です。
「徳山姓の研究」ページをコツコツ作ってきましたが、やっとお見せできるレベルに達したと思いますので、これから検索サイトや相互リンクに公開していくことにしました。
ここまでいらっしゃった方。何かのご縁です。ご感想などお寄せください。全国14,000人の徳山さん、「わたしも徳山です」というカキコお待ちしております。