元は滋賀県東浅井郡徳山村、1889年から東草野村、1954年から浅井町。2006年に合併し、長浜市徳山町(ながはましとくやまちょう)となっています。
この地が徳山氏の名字の地であるかどうかは確認されていませんが、近江と徳山氏は関係が深いです。近江八幡市の瓶割山にあった長光寺城(瓶割り柴田で有名な柴田勝家の古戦場)で、柴田勝家の留守を預かった徳山右衛門あてに、秀吉が出した書状が残っています。実際、瓶割山の麓に行くと、今でも徳山さんがたくさんいらっしゃいます。
また、岡山県笠岡市吉田の徳山さんも近江から来たと伝えています。 柴田勝家の家臣のなかに、徳山則秀と徳山吉右衛門の名前があります。上記の書状に名前が残る徳山右衛門は徳山吉右衛門と同一人物の可能性があり、 天正14年(1586年) に吉田村にやってきた徳山氏の初代も徳山吉右衛門と名乗っています。