「徳山姓の市区町村別分布」でも紹介したとおり、現在、市町村別で(大都市を除き)最も多くの徳山さんが住む地は岡山県笠岡市です。笠岡市吉田に今も多くの世帯が集中しており、400年を超える歴史が確認できます。美濃国徳山氏の流れと伝えています。
笠岡市の徳山氏の歴史
笠岡市吉田の徳山氏に伝わる資料に、以下のような記述があります。
「徳山氏は清和源氏之流ナリ。遠祖ハ美濃国大野郡徳山村ヲ領セシ為姓を徳山トナス。其後、徳山五平清勝ナルモノ在リ、近江国多賀郡新砥村ノ産ニテ、柴田勝家ノ家臣トナル。天正十一年賤ヶ岳ノ戦ニ合シ、勝家不幸ニシテ敗北シ自殺ス。其後、清勝ハ天正十四年備中小田郡吉田村ニ来リ、名ヲ吉右衛門ト改メ、農業ヲ営ミ此所ニ住ス。」
また、同じ資料に、以下のような系図を伝えています。
これによれば、笠岡市吉田の徳山氏は「清和源氏土岐氏族徳山氏」と同族ということになります。近江国多賀の新砥村というのはどこかわかりませんし、何故吉田村に来たのかもわかりません。ただ、吉田の高称寺には、徳山吉右衛門や徳山五兵衛の墓が実在しており、天正十四年(1586年)以降の歴史は確実なようです。
近江八幡市の瓶割山にあった長光寺城(瓶割り柴田で有名な柴田勝家の古戦場)で、柴田勝家の留守を預かった徳山右衛門あてに、秀吉が出した書状が残っています。実際、瓶割山の麓に行くと、今でも徳山さんがたくさんいらっしゃいます。
また、柴田勝家の家臣のなかに、徳山則秀と徳山吉右衛門の名前があります。上記の書状に名前が残る徳山右衛門は徳山吉右衛門と同一人物の可能性があり、 天正14年(1586年) に吉田村にやってきた初代の徳山吉右衛門との関係も興味があります。