江戸時代の諸藩にも徳山氏が見られます。福井藩士の徳山氏については「越前国の徳山氏」、津山藩士の徳山氏については「美作国の徳山氏」で紹介するとして、ここでは、岡山藩、松本藩、尾張藩について見ていきます。今後加筆、訂正、追加をしていきたいと思います。
岡山藩士の徳山氏
岡山藩の徳山家は藩の弓道師範の家柄です。祖先は池田勝入斎(信輝)(1536~1584)の時に池田家に仕え、寛永9年(1632年)、池田光政公の時、お国換えに従って鳥取から移ってきたといいます。池田信輝は美濃国池田郡の出身で、美濃大垣城主にもなっていますから、この徳山氏も美濃と関係があるかもしれません。
徳山家は4代治兵衛勝寿の代に弓道の日置流印西派宗家吉田源之丞から免許皆伝を允許され、以後今日に至るまで流派を伝えています。勝寿から3代後の徳山文之介豊信(1795-1845)は歴代中傑出した名人といわれています。また、近代では、14代の徳山勝弥太(1869-1955)が名人として有名です。現在も子孫の方が父祖の流儀を継ぎ、岡山市弓之町の徳山弓道場を守っています。
岡山市の徳山氏については「徳山姓の市区町村別分布」でも触れました。
松本藩士の徳山氏
松本藩戸田氏に仕えた徳山氏は、「清和源氏土岐氏族徳山氏」で述べた徳山貞隆の子孫という系図を伝えています。貞隆以降を記すと以下の通りです。
当家は家紋として土岐桔梗を用いており、土岐氏族徳山氏とは同族になります。以上は「徳山一族の系譜」(日本系譜出版会、昭和53年)から引用しました。
尾張藩士の徳山氏
「徳山一族」(日本家系協会、平成10年)に「尾張藩士に徳山氏あり」との記述があります。
また、このサイトをご覧になって、名古屋の黄木様から2003年5月にご丁寧なメールをいただき、お教えを賜りました。内容は以下の通りです。
「手元の資料「藩士名寄」「分限帳」等を見ましたところ、徳山姓の藩士30人ほどの記録がありました。
初出は濃州徳山居住の浪人徳山久三郎の倅、徳山平右衛門で尾張初代藩主徳川義直に奉公し禄高二百石、正法四亥十一月に病死しています。最後は徳山真清で明治二巳十一月三日に清洲御代官内詰手代として五石を給され、翌三年五月廿三日に職務を免ぜられています。この間27人の記録がありました。
「分限帳」については全部を見ていませんが、3人の記録がありました。」
詳細な資料は、「尾張藩士の徳山氏名簿」をご覧ください。黄木様には大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。